今日の参拝100 ~美しく生きる~
六甲山を降りて、僕は向かった。
湊川神社
ご祭神は、楠木正成、楠公(なんこう)様・・である。
”大楠公”と称して、若君と区別する場合もある。
今回、僕には明確な目的があった。それは、
武人(ぶじん)の生き様を感じる
ということである。
どういうことかというと・・・
今は見えない世界で、世の立て替えに向けた「戦い」の終盤らしいが、たくさんの霊人がその戦に参戦されている・・という。
師匠によれば、その中のお一人が楠公様であり、彼と共に「赤備え(あかぞなえ)」の武人の方々が戦っておられるとのこと。
ちなみに、これに類する表現は、師匠だけでなく、他の方の執筆にも散見される。
で、どこの神社と明記はなかったと思うのだが、戦いを前にした楠公様と赤備えの武士たちが、賑やかに酒を酌み交わしている、という記述があり、それを感じ取れるとしたらここしかない、と思ったのが湊川神社・・というわけだ。
この日の湊川神社は雨だったが、境内は七五三のご家族で賑やか。
けど、かえって僕には都合がいいかも・・と思い、神へのご挨拶を終えたら、ひっそり隅っこで「酒宴」を感じてみることとする。
鳥居をくぐる。
すると明らかに「氣」が変わる。
僕には珍しく、それがはっきりと感じられた。
七五三の優しい氣というものではなく、どちらかというと厳しいもの。
そんな境内の隅で、僕は思いを巡らす。
明日は死ぬ、そういう戦の前夜に、笑って酒を酌み交わす武人の心情、
武人の生き様。
美しいな・・
そう思う自分がいる。
そこには「迷い」というものが微塵もない。
目的、いや、自分の信ずるものの前で、死すら「光」に昇華されている。
そんな気持ちを、僕は分かる気がする。というか、体験したことがある気がする。
敵将殿と共に、武人であった前世の記憶か・・・
自分の中に存在する、そんな「美しい」生き様を求める何か。
墓所で蝋燭と線香をあげながら、僕は話しかける。
・・楠公様、やはり私は、美しく生きたいですよ。
懐かしい記憶。
楠公様や赤備え武者の声が聞こえたわけではないが、ここでそんな自分に向き合うことができた。
ありがとうございます。
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