見出し画像

ま:まさかと思うようなことが。

奇跡を信じるのは難しい。

努力が結果に反映される、と考えるタイプなので、奇跡のようなものは基本信じていなかった。今までも努力したことが実って、うまくいったことはあるけれども、奇跡が起きてそれがうまくいったとは思っていない。
それ故なのか、努力が実らないと「どうやったら実るのか」を永遠に考え続けてしまう。何か答えがあるはず、と信じてしまい、焦る。

しかし、最近努力をしてうまくいくこと自体が、ある種幸運なんじゃないか、と思うようになった。
努力を認めてくれる環境。
結果にたどり着く努力ができたこと。
結果が出るまで続けられたこと。
自分が頑張れば解決するようなものでもない。周りの支えあってこそなのだろうな、と思う。何かしてもらっても「そういうもの」と思っていた時期もあったし、誰かに助けられていることに気づいていないこともたくさんあったけれども、結局「成果」は環境あってこそ、なのである。

だから、「成果」は努力が何割かと環境とで成り立っていると思う。
そして、思ったような成果が得られるかどうか、未知数である。
とはいえ今努力していることが、別の形であれ実を結ぶことは、尊い。
それを通り過ぎて、ひたすら努力した末に、「まさか」と思うような奇跡、自分が欲しかった未来が待ち受けているのかもしれない。

自分のやりたいことなんて、誰も聞いてくれないし、最初は「周りの人がかなえたいこと」をやっていくのが一番無難なのだろう。好きなことも簡単に見つからないし。
自分がやりたい努力だけやっていても、きっと「まさか」の奇跡にはたどり着かないから、道のりが見えない分、奇跡を信じることは難しい。

しかし遠くの奇跡を信じることは、
今踏み出す一歩を信じることと同義なのかもしれない。

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします。フリーランスになるための資金に使用させていただきます...!