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結局、心が動く文章が書きたい。

情報だけだと心が動かない、でも心が動くって何だろう。難しい。
情報だけのnoteを書きたくないと思ってしまう。情報をただ発信するだけになってしまったら、私が書く意義がなくなってしまう。では何を書くのか?自分の日常が物語になる、そんなエッセイを書きたい、そんな場所を作りたい。
だから結局、心が動く文章が書きたい。

私が日常を好きになった原点を考えたい。
米澤穂信の「春季限定イチゴタルト事件」。これが日常好きの始まりだった気がする。なぜ好きだったかというと、自分の日常が好きになれるからだ。何も起こらない、ただ続いていく日常にみな飽きてしまう。だから、旅行へ出かけたり、友達と遊んだりして非日常を作り出そうとする。でもそんなにお金や時間をかけていられないのが現実で、そんな気分を一瞬でも忘れさせてくれるのが、この小説だった。主人公の小鳩君と小山内さんは「小市民」を目指しているが、いつも事件に巻き込まれて(起こして?)しまう。長くなってしまうので、また別のところでこの作品について語ることとするが、とにかく、二人の物語を体験しながら、私にも自分の知らない世界への扉があるのかもしれない、と小説の世界に逃避行できるのだ。そして、それは読者に希望を与えてくれるのだ。

日常が非日常になる、その期待感をこのnoteの世界観にしたい。というのが私の現状のコンセプトになりつつある。ほかの方のnoteを読んでみても、この作者の方の日常を体験してみたいと思うことがよくある。素敵だなと思うnoteには何かしらの世界観やその人の人柄が文章に出ていて、それで引き込まれるのだろうな、と思う。また、おもしろい!素敵!おしゃれ!と思っていただける世界を文章の中に作りたい!というのが、私のやりたいことらしい。(まだ新米なので、いろんなnoteをみて考えも変わっていくのだろうが。)
あるアーティストが、「自分の日々の生活がそのまま作品に出てくる。だから、日々いろんな刺激を受けないといいものは作れない」というようなことを言っていて、1年ほどに聞いた言葉だが、いまさらその言葉に納得している。自分が発信してみて、そういうことが言いたかったのだなと腑に落ちている。自分の日常が個性を作って、それが発信するときに表現となって表れる。面白い!を発信したければ日常に力を入れなければならない。いつも、興味深いことが起こるわけではないが、そういうアンテナを常日頃から張って、キャッチしたものを文章に起こせるように、ずっと書き続けていたい。書き続けた先に、成長とか個性とか自分のやりたいことが、見えてくるのかもしれないし、そんな「わくわく」に会いに行くために、これからも書くことを怠りたくない。

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