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亡き猫と母を思って 仁尾智「また猫と 猫の挽歌集」

今年の5月に楽しみに購入したのに、なかなか手を付けられなかった本があります。
猫歌人、仁尾智さんの「また猫と 猫の挽歌集」です。

昨年の春に実家の猫、とらが亡くなり、とらを溺愛していた母も今年の5月に亡くなりました。

6月になってようやくこの本が読めるようになった時、とらのことを思い出しつつ、「猫」の文字を「母」と読み替えると、それはそのまま今の自分の気持ちなのでした。

「亡き猫を思った顔がほころんでさびしさはいとおしさに孵る」
「老猫と居て代り映えしない日が当たり前ではなくいとおしい」
「痩せてきた猫が太っていた頃の写真をずっと眺めてしまう」
「『すこしでも長く』とはもう祈れずに『せめておだやかに』と猫に言う」
「なにもできないけど 猫よ ここにいる ここにいるからここにいるから」
「のんびりとした猫だった 最期だけそんなに急いでどこへ行くのか」
「いるだけで灯りみたいな猫だった 黄色い花を手向けてあげる」
「幸せは前借りでありその猫を看取ってやっと返済できる」

また、わたしが予約購入したのはこの本の「特装版」だったのですが、特装版購入者には
「猫の看取り前後の思いや場面についてのリクエストに沿った短歌を仁尾智さんが作る」
という特典がありました。

わたしはこんなリクエストを送りました。

「昨年の春、母が溺愛していた猫・とらが亡くなりました。
そして今年の4月、母の膵臓癌(ステージ4、転移あり)の診断が出て、それから40日たたずして5月下旬に母が逝ってしまいました。

母の診断がでてから、とらの写真に「とら、まだだよ。まだお母さん連れて行かないで」と何度も話しかけていました。
母の姿が見えないと言っては鳴き、母にいっしょに寝ようと言っては鳴く子でしたから。

今だに母が亡くなったことがうそのようで、なぜ母の遺影が額縁に収まっているのかも納得できない気持ちでいます。

でも今は、母ととらは以前のようにくっついてお話ししたり、いっしょに幸せそうに眠ったりしているのかもしれません。

このような気持ちを歌にしていただけるととてもありがたいです。

今回の仁尾さんの新刊を読んで、とらのことも母のことも思い、本当に心に沁みました。
(後略)」

「リクエスト採用には選考があります」
とのことで、どうかしらと思いつつ待っていると、6月下旬に仁尾さんからオリジナルの短歌が届きました。

「残されてしまった 猫を追うように母も逝き いまいっしょにいますか」

「残されてしまった」は猫にも母にも先に逝かれて、後に残った自分の「残されてしまった」孤独感のように感じました。

この歌を読み返すたびに母ととらが居間のソファで仲良くくっついて眠っている姿を思い出します。

自宅に飾っている母の写真に、この歌を読んであげました。

そして、もう一つの特装版購入特典として、本の中の歌が一つ、仁尾さんの直筆で書かれているのですが、わたしの本に書かれていたのは、わたしがしみじみ良いなと思った
「亡き猫を思った顔がほころんでさびしさはいとおしさに孵る」。

仁尾さんの歌も、この本も、大切な宝物になりました。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

*7月9日は母の四十九日。

わたしも実家に帰り、ご自身が高校生の頃からうちにお経をあげにきてくださるお坊さんを迎えて、家族4人でお参りしました。

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櫻木 由紀 Yuki Sakuragi
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