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ハイコンテクスト文化、ローコンテクスト文化から見た絵本のタイトル

前回投稿で、英語と日本語の絵本や映画のタイトル設定の違いについて、①言語特性としての認知の違い、②マーケティング戦略、③文化的影響 などから考察する記事を書きました。

この記事に対して、すごく興味深い質問を頂いたのでシェアします。


質問:日本語はハイコンテクスト文化、英語はローコンテクスト文化って言わますが、絵本のタイトルだけを見るとハイとローが逆転している気がします。この違いはどこから来るのでしょうか。



以下が質問に記載の絵本のタイトルで、前回投稿でタイトルにしたものです。

ハイコンテクスト文化、ローコンテクスト文化とは

そもそもハイコンテクスト、ローコンテクスト、とは何でしょうか?

「ハイコンテクスト文化」と「ローコンテクスト文化」という概念をご存じでしょうか。これは、1970年代に文化人類学者であるエドワード・T・ホール氏によって提唱された概念で、コミュニケーションの中で、言葉に重きを置く(ローコンテクスト)か、言葉以外の意味に重きを置く(ハイコンテクスト)か、というスタイルの違いを意味します。

ハイコンテクスト文化とは、コミュニケーションが価値観、感覚といったコンテクスト(文脈、背景)に大きく依存する文化を指します。日本語は、その代表例と言えるでしょう。ホール氏によれば、中東、アジア、アフリカ、南米がハイコンテクスト文化を持つ地域とされています。

逆に、ローコンテクスト文化とは、コミュニケーションがほぼ言語を通じて行われ、文法も明快かつ曖昧さがない文化を指します。北米、西欧がローコンテクスト文化であり、英語はその筆頭であるとされています。

https://www.crimsonjapan.co.jp/blog/translation-issues-context/

この説明を見ると、確かに、日本語訳(しずかにあみものさせとくれー!)のほうが、「しずかにあみものをさせてほしい」と欲求に直接言及しており、ローコンテクストの特徴を表しているのはこちらのほうなのかな?という気がします。

ローコンテクスト=コミュニケーションの主要点を冒頭に、明確に伝える

しかし、私なりの解釈ですが、「相手にどうしてほしい」という一番伝えたいことの言及がない時点で、とてもハイコンテクスト的だなと感じます。
例えば、おばあちゃんがうるさい孫たちに「静かに編み物をさせてほしい」と言った際に、ハイとローだと孫たちのセリフにどのような違いが生じるでしょうか。

ハイ:「ごめんね、僕たちうるさかったね。静かにするね」
ロー:「オッケー!どうぞー!」と言って騒ぐのをやめない

ローコンテクストでは、主要点を第一に明確に言葉にし(上記絵本の場合は、ひとりにしてほしい)、背景(しずかに編み物をしたいから)は二言目以降に回します。そうして、物事を解決するための言葉をダイレクトに伝えます。反対に、背景を伝えることで主要点まで伝えようとするのが、ハイコンテクストの特徴です。

この文化の違いはどこから?

上記のハイコンテクスト、ローコンテクストの説明画像を見ると、同じ英語圏でもアメリカ人とイギリス人は文脈への依存具合が異なるようです。

こちらの記事によりますと、この違いはその歴史に端を発するとのこと。建国から歴史が浅く移民で成り立っているアメリカは、民族ごとの文化的解釈や慣習に寄らない言葉の表面通りの理解が必要。従って、ローコンテクストの中でも最もローという位置づけとなります。

対して、アメリカよりはハイに寄せるイギリス。私はイギリスに3年ほど在住しておりましたが、その短い滞在経験から、気質や慣習に多少日本文化への類似点を感じました。例えば、回りくどい&遠慮がちな物言い、パーソナルディスタンスの取り方(相手の懐への入り方)、相手への礼儀、などなどです。
余談ですが、イギリスの大学院に在籍していた際に、教授にYour research is very interesting.と言われた場合は要注意、というジョークがありました。
Interesting以外言いようがない(何の突っ込みどころもフィードバックもできない駄作的意味)ということなのだと言われ、アメリカ人の同級生たちと失笑した記憶があります。
(ハイコンテクスト的なので日本人には意図していることが分かりますが、アメリカ人は何で思ってもないことを言うの!?という表情をしていました)

イギリスは4か国に分かれており、単一民族ではありませんが、長い歴史を島国で育んでいますので、自ずと協調性や「あうんの呼吸感」をある程度重視する文化となったものと思われます。

その他言語ではどう?

私はスペイン語を話すトリリンガルですが、スペイン語は長ったらしくて結局何が言いたいの?と超ハイコンテクスト日本人である私でも感じることがあります。↑画像のスペクトラムを見ても、「スペイン人」はハイコンテクストの方に寄っていますね。
※私は南米でスペイン語を学習しているので、厳密に「スペイン人」の文化はわかりませんが、南米もかなりハイコンテクストに寄っていると経験上感じます。

上記のハイコンテクスト、ローコンテクストを提唱した文化人類学者のエドワード・T・ホール氏が唱えた「時間の捉え方」が興味深かったので、ご紹介します。

1つの時間に複数のことをするのをPタイム (多元的時間=ポリクロニックな時間)、1つの時間に1つのことをするのをMタイム (単一的時間=モノクロニックな時間)と呼び、それぞれどちらを優先するかで文化の型を分けたものである。
Pタイムの文化では、時間はゆったりとつながった1つの流れとして提えられ、分断することがない。仕事の中身よりもその時々を大事にし、人と交流 し関係を確立、維持することが中心で、結果的に複数のことが同時に進行す る。多くのアジアの国、アラブ諸国、ラテンアメリカ、ギリシャ・トルコなど地中海沿岸諸国が該当 、ハイコンテクストの文化圏に重なり合う場合が多い。
Mタイムの文化では、人々は時間を分断しスケジュールを組み立て、それらを優先して扱う。自ら立てたスケジュールであるにも関わらず、それを時間通り遂行することに縛られ、無駄に使わないように腐心する。そのため、人間関係より仕事の実質、内容、実績に重点が置かれる。発信された言葉を正確に履行することに重点が置かれることから、ドイツ、アメリカなどに代表されるローコンテクストの文化圏に重なり合う場合が多い。

文化の類型とコミュニケーションギャップ | CiNii Research

時間を多元的に捉え、人の交流や信頼関係の構築に重きを置くPタイム(=ハイコンテクストの文化圏が重なり合う)と、時間を単一に捉えそれぞれの時間にアサインされた目標をこなしていくMタイム(=ローコンテクストの文化圏が重なり合う)。

確かに、ラテンアメリカでは時間の重要性がさほど高くない(平気で約束に遅れたり期日を守らなかったりする)ため、思いっきりPタイム型(=ハイコンテクスト)だと感じます。
他人との約束や仕事の期日よりも優先するものとして、家族との時間だったり、自分のしたいことだったりするので、自己中心的ではありますが、人間的であるとも言えます。

時間の融通を利かさない(きっちり守る)という意味では、日本はPではなくMでは?とも思いますが、別のソースによると日本はP/Mの混合型、という見方もあるようです。言い出したらキリがないですが、ラテンアメリカ(P)系アメリカ人(M)も多くいますし、1つの文化を白か黒か、というようには分けられず、色々な観点からそれぞれの特色を洗い出していく、ということなのかな。そして、文化は生き物の集合体である以上、時代の変遷とともに少しずつ変化していくのだとも思います。

終わりに

また悪い癖でどんどん脱線して長くなってしまいました。言語や文化は好きな分野なのでどうしても長くなってしまいます。
どなたかに何らかの参考になりましたら、幸いです。

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