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SAPIX→御三家→東大合格の"テンプレ"人間が語る中学受験と塾

0. はじめに

この記事は、中学受験した人の優秀性を説く記事ではありません。中学受験しなくても、塾にいかなくても、もちろん学問的に優秀な人はいます。中学受験が全ての小学生に有効とは思いません。ただ、純粋に一つの風景を紹介します。

先に書いておきますが、中学受験に「コスパ」を求めすぎるべきではありません。アカデミックなつながりや学問的なレベルの高さに価値を見いだせず、ただ進学する大学や就職先や年収などで「勝者」「敗者」を決めるなら、中学受験で偏差値の高い進学校に行く必要はありません。優秀な公立高校に行ってもいいですし、勉強が嫌いなら、何科目も勉強して難しい問題を解く東大よりも、小論文や面接、英語と数学で受かる慶應とかに行った方が「コスパ」はいいです。

まず、やや過激なタイトルにしたことに関してお詫び申し上げます。これは学歴自慢というわけではなく、あくまで中学受験という単語からしばしばイメージされる"テンプレート的な"人間の視点だよ、という前置きと思っていただければと思います。私のような存在が経済格差の象徴に思えて許せない方もいらっしゃるでしょうか。否定はできませんが、後ほど少し触れます。

筆者は東京生まれ、小学校中学年くらいから大手中学受験塾SAPIX(小学部)に通い、最終的には一番上のクラスで私立御三家の某有名中学に合格、さらに中高でもそこそこの成績をキープし、東大理系に現役合格した経験があります。これは重要なことだと思っていますが、物心ついてから受験勉強に関して特に強いストレスを感じたことはありません。楽しかったです、なんだかんだ。2019年12月現在は20代です。

さて、この記事は、エビデンス(科学的な統計データや教育学的見地など)に基づいたものではないことをお断りしておきます。完全に私見ですし、また私が受験した当時とは状況が全く異なる部分もあるかと思います。ご了承ください。

そしてなにより、ある程度は「成功体験者」の立場であることをご承知ください。ただこれについては、受験に失敗した人間が「受験なんて意味ない」といっても、成功した人間が「受験なんて意味ない」といっても、ポジショントークになってしまいます。中立は貫けない。なので、ある程度やむを得ない側面がありますね。

1. リアルな"狭い世界"

まず簡単に、中学受験上位層のつながりの実際を書いておきます。

中学受験の塾、特にクラスが長く一緒だったような人間関係はSNSが発展した昨今、長続きします。同じ中学に進めばもちろんですし、中高の塾で再会するなんてザラにある話です(鉄緑会、SEGなど)。小学生の頃の塾の友達と結婚した知り合いもいます。つまり、進路が違えど大学受験でまた一緒に勉強する友人は多くなります。そうなれば大学も同じになりやすい。つまり必然的に中学入試の友達→大学の友人になる可能性がそれなりに高いです。各自の専門性が高くなってくると、「○○は~を専門の研究してる」とか「〇〇は~になった」という話が生じます。

以前は、模擬試験の"成績優秀者名簿"が実名掲載でした。SAPIXの成績優秀者の多くが、そのまま東大模試の成績優秀者に散見されます。会ったことがなくても、同世代の有名人がいるという感じ。野球やサッカーのプロ選手が語る「リトルリーグ時代のライバル」みたいなのに近いでしょうか。

もちろん、中学入試の成績優秀者が全員、大学入試で優秀というわけではありません。勉強面で落ちぶれる人もいれば、逆に中高から伸びる人もたくさんいます。あくまで、名簿を照らし合わせるといっぱい見つかる、という程度のニュアンスです。

上記の内容は、人によっては「キモチワルイ」と思われるかもしれませんが、悪い表現をすると人脈です。筆者自身、SAPIXで一緒だった人とは中高が違っていても未だに交流があります。

SAPIXの(別に他の塾でもいいですが)上位クラスから結果的に東大まで行く層には、大学院などアカデミアに残る人もそれなりにいます。「SAPIXで中学受験する人は優秀」などと言いたいわけではありません。そんなのは学問に関係ありません。ただ、後ろ向きに(レトロスペクティブに)見ると中学受験の塾がバカにできないほどの人間関係になっていることがあるということです。

2. トップ層にいる「本物」と広がる世界

ここまでであれば、中学入試にしろ大学入試にしろ、「テスト勉強ができる人種」ということでしかありません。ですが少し面白いのは、中学受験のトップ層は世界が広がるレベルということです。

数学オリンピックというものがあります(実は科学オリンピックとして物理オリンピックや情報オリンピックなどいくつもあるのですが、割愛します)。さてこの数学オリンピック、全ての高校生が存在を知っているわけではありません。メダリストを輩出しているような高校では存在は常識ですが、全国的には数学が非常に得意であっても受験機会を得られていない高校生もいるでしょう。

実は、小学生が対象の算数オリンピックというものもあります。こちらについては、私はSAPIXに通っていなければ存在を知ることはなかったと思います。もちろんSAPIXなど関係ない大会なのですが、受験案内がある、情報にアクセスできるというだけで非常に大きなことなのです(少なくとも当時は)。どんなに算数が好きで得意な小学生も、存在を認識できなければ受けられない。

私の学年やその前後で、SAPIXに通う生徒がこの算数オリンピックのメダリストになっていました。そういう人がその後どうなっているかというと、高校で数学オリンピックや情報オリンピックに出たり、国際オリンピックなどの世界大会に行ったりしています。「天才高校生」としてニュースに出たり、東京大学の大学院で数学やITの研究をしていたりします。

学問と関係のない、たかが中学受験に過ぎませんが、トップ層には「本物」がいるのです。受験という枠では評価しきれない優秀層も大手塾には拾われています。

数学オリンピックや情報オリンピックなどは情報化社会でかなりホットになってきていますが、どうしてもトップ進学校の生徒がたくさん受験してたくさん優秀者になっていきます。能力もあるでしょうが、なにより違うのは情報アクセスです。存在を知らないものにはチャレンジできないのですから。

たとえば「トップクラスのエンジニアになりたい」という小学生がいた場合、どうしても筑駒や開成や灘といった数学や情報オリンピック常連校に入学して切磋琢磨するのが一つの良い環境ということになります。競技プログラミングも盛んです。

3. 向き不向きと教育虐待

さて、ここまで読んだのはいいものの、一方でお気づきかと思います。SAPIXに通う小学生の全員がトップ層でないことに。トップ層は集団の上位なので、全員がトップ層ということはありえません。

「SAPIXなどの塾に通えば御三家に受かるのか」

ここに、加熱する中学受験とその弊害があります。

スポーツのリトルリーグを楽しむ子供のように、子供が「行きたい!」というので通わせるだけなら何も問題がありません。ですが、一部の私立中学に行くことが学歴ひいては大学、職業に影響するがために、勉強が嫌いな子が親に泣く泣く通わされているというのが悲劇の始まりです。

SAPIXの場合、SAPIXについていけない子の補習などを請け負っているといって差し支えないような個別指導塾が存在します。上位クラスの子はあまり通いません。

勉強が嫌いなのに塾に行く、塾についていけないから塾に行く……勉強が嫌いな子にとっては地獄です。

もちろん嫌でも、ある程度の勉強は重要です。ただ、それが度を過ぎると話題の"教育虐待"のような形になってしまいます。

非常に短絡的な表現をすれば、「向いている子は楽しめるが向いていない子は地獄」のような様相です。

4. 経済力だけでは

「授業やめてよ。勉強したくないし、先生も楽でしょ」

これは私の友人がSAPIXで下位クラスを教えている時に生徒に言われたという言葉です。

私のような"テンプレート的な"人間は、しばしば「親が金持ちで塾に通えたから学歴がある」「東京に生まれたから中学受験ができて地位がある」と言われます。もちろん僻みやルサンチマンといえばそれまでなのですが、自分たちが恵まれていることには認めつつ感謝しないといけません。また塾に通いたくても通えない人がいることも留意しないといけません。

一方で、SAPIXの下位クラスにも目を向けてみると、非常に経済力のある家庭で小学校も私立という生徒は割といます。何が言いたいかというと、たしかに環境や経済は現在は重要な因子となっています(これは確かに是正されたい問題)が、ある程度は本人の意志や能力とマッチしないと機能しないということです。

例えば、「東大生の家庭の平均年収が1000万」と聞いてどう思うでしょう。「優秀な子は親の年収が高い傾向にある」、「格差の再生産だ」。それはそうかもしれません。是正が必要な格差は大きい。でも、大きな教育リソースを割かれても伸び悩む層があまり認識されていないことは多いと感じます。

実は東京23区では、30代の子育て世代で世帯年収が1000万円以上の世帯が約1/4にのぼります。大学生の子どもを持つ世帯の平均年収は800万円クラスです。この辺りは、下記の別記事に書きました。

Twitterにおいて、「東大合格は環境か努力か」みたいな議論が周期的にバズっていて微妙な気持ちになります。恵まれた環境には感謝したほうがいいですが、本人の努力も大事です。安易な二項対立ではない。

5. 大手塾に向いている子(私見)

ここでは男子御三家の一つである開成中学高等学校の柳沢幸雄 元校長の、新聞のインタビューを抜粋しておきます。

(小学生が1日何時間も勉強することについてどう思うか)

イチローは小学校時代、1日8時間も自分から進んでバッティング練習をしていたそうです。同じように、毎日何時間も勉強しても悪いことは全くありません。ただし、本人がやりたいと思っていることが大切です。

完全に私見ですが、中学受験の大手塾に向いているのは

・本人の意志で"結果的に"高い偏差値の学校を目指す子

・勉強をパズルや競技と思って楽しめる子

・純粋な競争心と知的好奇心を受験を機に発揮できる子

・「一緒にいて楽しい友達」が中学受験する子

あたりでしょうか。他にも向いている特性はあるかもしれませんし、もちろん学者肌の勉強好きタイプが全員向いているとも思っていません。個人的に思う、いくつかの特性と思っていただければ。

例えば、「小学校のみんながお笑い芸人や歌手やYoutuberの話題ばっかりで、それも楽しいけど自分は数字の面白い性質やパズル的な問題を議論するのも楽しい、周りと"面白い"が一致しない」みたいな子には中学受験は割とおすすめです。選ぶ塾については別に考えたほうがいいですが。

「勉強ができる人は人間性に劣る」、「偏差値と人間味はトレードオフ」といった価値観が支配的な環境にいる人が、そういった環境を脱するには受験はかなりオススメです。

6. 中学受験は親のエゴなのか

これもときおり言われる、「中学受験は親のエゴ」という言説。

否定することは難しいです。小学生の自分の意志をどこまで信じるかは難しい。私は自分の意志と思っていますが、それも親の誘導と言われればそれまでです。

ただ、「中学受験は親のエゴ」という方の大半は、「中学受験は子どもの意志」と思っていないでしょう。ここに大きな、(ある程度の幸福な)中学受験を経験した人間との齟齬があるかと思います。

親に強制されて中学受験する悲壮感漂う児童も確かに存在はしますが、一方で自分の意志で塾通いや上位私立中学を目指して勉強する児童も確かに存在します

「サッカーを習うのは親のエゴ」、「ピアノを習うのは親のエゴ」という風に子どもの習い事や選択を全て「親のエゴ」と評価するような方は、むしろ一貫しているのでいいと思います。そういう方はそもそも、子どもに対する親の影響力は無意識下であっても多大だと考えてそのように主張しているのであって、そのような考え方を完全に否定はできません。

私がたまに疑問に思うのは、勉強することや中学受験をすることについてのみ親のエゴとする主張です。

これは裏を返せば「小学生は勉強するもんじゃない」、「のびのび育てることは勉強させないこと」という主張に近いのではないでしょうか。そしてそれは勉強することや知識を獲得することに楽しさを見出したり、自ら望んで行きたい中学を目指す児童に対して失礼のようにも思えます。

勉強が好きな子どもを「のびのび育てる」ことは、勉強させてあげることではないでしょうか。

中学受験をする小学生全員が楽しんでいるとはもちろん言えませんが、向いている子にとっての中学受験塾はそこまで悲壮感漂う空間ではありません(少なくとも当時は笑)。
ワイワイガヤガヤとテストの点数を競ったり難しい問題にチャレンジしたり、スポーツのような感覚と知的好奇心がリンクした時に中学受験の成功は獲得される気がします。逆に、そのような状態でないと大手塾はかなり大変な気がします。

要するに、野球が好きでない子どもを野球のリトルリーグに入れてもプロにはなりにくいわけです。夢中で楽しんでいる子に勝つのは難しい。

7. 中学受験に意味があるなら

東大や国立医学部において、たしかに中学受験経験者は多いです。でも、中学受験をしていない人ももちろん多い。そうすると、下記のようなことを言う人がいるわけです。

「中学受験は頑張りの割にコスパが悪い」

それはそうです。中学受験しなくても良い大学は入れますし、高年収を得られますし、良い就職もできるでしょう。そうなると中学受験は意味がなさそうです。

完全にポジショントークですが、私個人としては中学受験でトップ層の中高に合格したことに意味があったと思います。いろいろな学校行事や自由な校風もそうですが、何より本当に優秀な人の存在を知ることができ、そういう人の近くで刺激を受け勉強ができ、卒後もそういう人と関係が続くためです。

正直なところ、このような(中高におけるアカデミア的な)部分に全く価値を見出せないのであれば、中学受験にそこまで過剰にこだわらなくていいと思います。年収とか就職とかであれば、エスカレーター中高でもいいですし、受験は高校でいいでしょう。公立高校にも素晴らしい高校はあります。

「勝ち組」や「負け組」、「幸福」や「不幸」といった評価軸だけで語るのであれば、中学受験の"コスパ"は高くありません。

8. 特定の結論は出せない

結局、中学入試は誰の意志だとか、将来の選択肢のためとか、幸せになれるとか、そういう点は大切であるものの個々人の要因がヘテロ過ぎて特定の結論は出せません。

自分がもしメチャクチャ勉強が嫌いで、地元の友だちと離れたくなかったりしたら、おそらく中学受験に良い経験はなかったでしょう。

中学受験は向き不向きがあり、さらにその塾にも一層激しい向き不向きがあります。

大変ながらも親子が成長でき、ある程度は楽しめ、失敗したとしてもそれを受容できる中学受験というのが(難しいかもしれませんが)理想かと感じます。

以上、SAPIX→御三家→東大合格の"テンプレ"人間が中学入試を語ってみました。不快に感じられた方などおりましたらお詫び申し上げます。

9. 追記

この記事に関連して、いくつかnoteを書きました(他にも色々と書いているので、プロフィールより御覧ください)。そのうち、特に関連性が深い2つを宣伝させていただきます。

一つは、この記事をたくさんお読みいただいた中で数多く目にした「守りすぎ」、「ガードを張りすぎ」、「気を遣いすぎ」、「炎上を恐れすぎ」、「官僚的」といったご意見に対するものです。正直いって予想外すぎる反応でしたので、まとめて記事にしました。高学歴の人には、曖昧で煮え切らない表現を多用する傾向があります。気に食わない方も多いかもしれませんが、そうなってしまいがちな理由を簡単に。

二つ目は、身も蓋もない言い方をすれば「中学受験を誤った見当違いな論理で批判する人がいる」ことに関する記事です。それらに対して軽く反駁を書いてみました。今回のnoteと少し重複しますが、中学受験の価値の面により焦点を当てています。

もう一つご紹介したいのは、「東大生の親の平均世帯年収が1000万円」というデータの見方について述べた記事です。近年、「東大生は経済的に恵まれているだけ」といった言説も散見されます。本当にそうでしょうか。このnoteでは、中学受験の話題にも触れつつ教育格差と経済格差について考察してみました。ただ「東大生は恵まれている」と噛み付くのではなく、色々な視点から見てみましょう。中学受験についても触れています。




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