「放っておく」とは、もうすでにそのままの様子を「受け入れっ放しにする事
考え、思いを
「放っておく」
と頻繁に言い伝える悟り系の人がいますが、、、
そもそも、
考え、思いを
「放っておく」事なんて出来ないし、
そもそも思いを掴む事がもともと出来ないし、
出てくる考え、思いを、
考え、思いでどうにか
失くそうとする事なんて一切出来ませんし、
そんな苦行、
難行をしていたら
悟りから遠ざかってしまうので
気を付けて下さい。
考え、思いを
「放っておく」
をもし、言葉で伝えるとしたら、
もうすでに受け入れ浮かんでいる
考え、思い、感情、感覚をそのまま
「受け入れっぱなし」にして下さい。
「そのまんま」でいて下さい。
意図して積極的に考えるのではなければ、
どんなに思い、考え、空想が出てきても構いませんし、
どんな感情や感覚に包まれても構いません。
エロい思いも人を嫌悪する思いもそのまま、
考え、思い、空想出っぱなし、
感情、感覚ありっぱなしのままでいて下さい。
感覚イメージ的には、
ボクシングの試合で完全にガードを下げて、
裸の無防備のまま、
思考、感情、感覚に
好き放題、
され放題、
思う存分されるがままに殴られっ放し、
やられっ放しにされるイメージです。
いつも台所でコップやお皿を洗いながら、
過去や未来の色々な
思い、考え、感情、感覚が浮かんでいますね。
浮かんでいる思いに対する葛藤も、
洗い物をしているただ今の様子として、
事実として自然に出ていますよね。
台所で洗い物している時のように、
あぐらでも姿勢が曲がっていても構わないので、
しばらく身体に気を配らない姿勢ならなんでもいいので、
眼を開けて坐って下さい。
坐るのが厳しいなら、
寝たきりで上を向いてでも構いません。
五体不満足で
病気の人は悟れないなど絶対にありません。
悟りは余計な事をしなければ、
どんな心身の状況であれ、
絶対に誰しもが悟れます。
思考、感情、感覚、呼吸を観察したり、
意識したり、注意を向けたり、
整えたり、変えたりする必要は一切ありません。
無為自然です。
いつも台所で洗い物をしている時に
「受け入れっ放し」で起きている
ただのその時における今の実物事実の様子の時のように、
その場でただ坐るのです。
それが何もしないで
「放っておく」
と云う事です。