クレイジー・フォー・ラビットとわたし
【初めに】
「人生で一番、人間関係に悩んでいたのはいつだったか、」
おそらく小学生の頃だ。わたしは非常に泣き虫だった。その癖、周りと積極的に関わろうとする節があった。遊びに誘われるとついていき、軽い冗談でも涙を流す。わたしは同級生が好きではなかったが、同級生はそれ以上にわたしを好きではなかっただろう。
卒業して同じ中学に進学しても、学校での生活環境はあまり変わらなかった。誰も知らない高校へ進学してからが、わたしの始まりだった。それまでの同級生とは、もう会わなかった。かと思えば、成人式で再会をした。久しぶりに会った友人と昔話に花を咲かせ、面白くもないのに笑い声をあげるのは、あの頃よりもずっと楽しく、なにより愉快だった。
いきなりの自分語りも実は半分以上が私の虚構だが、もしも全てを信じた方が「分かります」と共感を示し、引くに引けない私がさらに嘘を重ねて「そうですよね」と答えた場合、不幸な人間は存在するのかと問われれば、私はやはり存在しないと答えるだろう。
そこに生まれるのは一方通行な共有だ。私が自ら嘘をついたと明かすか罪悪感に耐えられず自ら告白をしない限り、存在しないはずの共有は片方に安心を与える可能性すらあるのだ。
悪意をもった嘘、思いやりをもった嘘、面倒だから感情もなくついた投げやりな嘘、どれも嘘には違いないが、そこから生じる結末には、嘘を言葉にした人よりも、嘘をつかれた人間の受け取り方が重要になってくる。
これまでなんとなく、嘘をつかれたら怒りか悲しみを抱くのが友だちとしての姿だと思っていた。
だが、嘘を許容する関係こそが親友なのではないかとも私は考えている。
しかしそれでは、疑いもせず信じ続けようとする人間だけが人間関係において楽になってしまう。楽が悪とは決して言わないが、投げやりな嘘と近い場所に位置しているのではないだろうか。
ここからは、ある本を理解しながら関係について思考を巡らせていこうと思う。
慣れない文体で疲れますね。
回り道も多々しますが、知らない人の散歩を眺めている感覚でお読みください……。
【クレイジー・フォー・ラビット】
奥田亜希子さんによって書かれ朝日新聞出版から2021年に初版となったこの小説を、私は面白く読みました。
私が勝手に求めている感覚に、少しだけ触れていた気がします。
この小説は一人の女性が過ごした時期を五つの短編として切り取り、それぞれの目線から人間関係について書いています。
特徴は、語り手の愛衣が『隠しごとに匂いを感じる』こと。
この特徴は、愛衣を苦しめます。
些細な会話さえも疑心にかられる愛衣について、序盤は生き辛さを覚えるかもしれません。ですが終盤にかけて、物語は救いのある方向へと進んでいきます。
それは上辺だけの希望や明るい未来といった類でなく、愛衣自身の許容にも関する成長の表れなのでしょう。
この小説が短編として切り取る五つの時期は、
詳しく見るとこのようになります。
・クレイジー・フォー・ラビット(小学生)
・テスト用紙のドッグイア(中学生)
・ブラックシープの手触り(高校生)
・クラッシュ・オブ・ライノス(大学生)
・私のキトゥン(30代)
どの短編にもその時代を震撼させる大きな事件や災害、賑わせた出来事が示唆されています。主として書かれている友人との繋がり方は時期によって異なるため、短編のどれかひとつには懐かしさを覚える人も多いかもしれません。
今回はこの中からひとつ。最初に載っており表題にもなっている、クレイジー・フォー・ラビットについて書いていきたいと思います。
【内容】
小学六年生の大島愛衣が、友人だった仁美と香奈恵に悩みながら、友人になりたい辻珠紀と関わる物語。
私はこの物語を読み、以下の語句を強く意識しました
【共有】
愛衣は昔から友人関係のうまくいかない子でしたが、それは隠し事の匂いを感じ取ってしまう能力のせいでもありました。
仁美と香奈恵と仲が良いのは去年、一昨年と同じクラスになったからだが、六年生の今年は愛衣だけが違うクラス。次第に二人の些細な行動から匂いを感じるようになった愛衣は、二人との時間に居心地の悪さを覚えるようになります。
一緒に過ごす時間が減ると、関係は希薄になってしまう。
実際に同じクラスの仁美と香奈恵は、違うクラスの愛衣を誘わず遊んでいた事実も発覚しました。
これは共有物の減少が招いた結果だと私は考えます。
上記の例でいえば、共有する時間が減ったのがいけなかったのではないかと。
関係の濃淡を左右する共有は、必ずしも時間だけではありません。
もっと素敵なものを交換しているのかと思った。
「引用元:『クレイジー・フォー・ラビット』(p7,L1)(2021年)ー奥田亜希子ー朝日新聞出版社」
物語の始めに、愛衣が後輩の一年生二人組が香り付消しゴム交換しているのを目撃した際に内心でつぶやく感想です。
一年生は独特の仲の良い空気を醸し出していたため、もっと良いもの≠消しゴム、の発想になりましたが、愛衣は自分も以前は似たようなことをしていたと思い出します。
物をあげる充足感と与えられる満足感を得られる香り付消しゴムの交換は、愛衣には友だちの証しでもあったのでしょう。
この場合は消しゴム(主に商品や物)ですが、何かを切り取って渡しあうこれも共有物といえるでしょう。
重要なのは、辻珠紀という女子生徒です。
珠紀とは同じクラスの同じ班になったのをきっかけに、二人でウサギの世話をするようになります。
他とは違うものを感じる珠紀と、愛衣は交遊を深めいたいと考えます。その折、珠紀に休日の遊びへと誘われます。愛衣はもちろん行きますが、外出先で過ちを犯してしまいます。
珠紀は自身が貸した漫画について、内容に関わる問いかけをしました。それに対して漫画をろくに読んでいなかった愛衣は、さも読んだフリをして誤魔化すような嘘をつくのです。
この出来事が決定打となり、愛衣は珠紀から友人になれないと告げられてしまいます。
愛衣はずっと珠紀に合わせて言葉を返していました。肯定していた消しゴムの交換を、自分が良いと感じる歌を、なにを否定されても愛衣は珠紀を否定しません。それがなぜかと言えば、愛衣は珠紀に嫌われたくないからです。
そんな愛衣に対して、珠紀は告げます。
「大島さんは私に合わせてばっかりだよね。別々の人間なのに、そんなの変だよ」
「引用元:『クレイジー・フォー・ラビット』
(p41,L2)(2021年)ー奥田亜希子ー朝日新聞出版社」
”変”という語句は、愛衣が珠紀に対して抱いていた友だちになりたいという執着にも似た想いを一言で表現しています。
愛衣は共感をすることで珠紀の感情を共有することができ、より親密な仲になれると思っていました。しかしそんなものは珠紀からすれば傲慢です。自分は何一つ真を語らない愛衣に、自分の感情だけを引き合いに出されてはたまったものではないでしょう。
愛衣は相手を気遣う共有にとらわて、自分の感情を共有することを怠りました。感情の共有を別の共有(時間→ウサギの世話、物→ヘアペン)で補おうとする行為に繋がっています。
ヘアピンは一緒にでかけた際、世話をしているウサギに似ていたことから珠紀が喜ぶと思い、自分用も含めてふたつ購入しました。
この時にはふたりでアイスも食べます。珠紀のチョコミントを一口もらった愛衣は、お返しに自分のイチゴ味をあげますが、好きじゃないと断られてしまいす。
愛衣の分も珠紀の分も、どちらも愛衣はもっている。
ヘアピンとアイスは二人の、時間を共有しているつもり←→感情を共有していない、と感じている関係性を示しているのではないしょうか。
珠紀は否定ばかりする印象ではありますが、貸した漫画の本心を聞き出すために愛衣を罠にはめるなど、嘘を嫌います。
「大島さんが正直に感想を言ってくれてるのか、気になったからだよ。本当は読んでないとか、全然面白くなかったとか、そういうことでもよかったのに」
「引用元:『クレイジー・フォー・ラビット』
(p40,L12~13)(2021年)ー奥田亜希子ー朝日新聞出版社」
愛衣が自ら匂いを発したと自覚した嘘は、珠紀にとって関わりを拒否されたとすら感じたのではないでしょうか。
結果として愛衣の前から去ったのは珠紀ですが、ずっと拒否していたのは愛衣だったのです。
これらは互いが
” 友だちに必要とする共有 ”に認識の相違があったため起こってしまったのだと、私は思いました。
【自己防衛】
この物語の根幹となる「隠しごとに匂いを感じる」愛衣の能力は、実は「隠しごと」そのものではなく、「隠しごとに伴い生じる何かしらの感情」に反応してるのではないかと私は考えました。
その可能性について探っていきます。
この短編で愛衣が匂いを感じた瞬間は以下の通りでした。
匂いあり
①消しゴム交換を見られた一年生に対して
②自分を除くふたりで会っていた仁美と香奈恵に対して
③珠紀に嘘をついた瞬間に自身から
①について。
消しゴム交換する瞬間を目撃された一年生に、なにか感情が芽生えるとは思えません。匂いは「隠しごと」に反応したと思えばそれで終わりです。しかし糸口があるとすれば、消しゴムは香りつきのものだったことでしょう。
ここに二通りの予想があります。
ひとつは、渡された相手が香りに感激し二人だけではしゃいでいたこと。そして愛衣が同様の行動を昔にクラスメイトとしていた時も、レアな匂いを持ってきた子は同級生に取り囲まれていたことからの推測です。
もしもこの一年生がレアな香りを持ってきていて、二人だけで交換していたのなら、他の生徒へのやましい気持ちが匂いになった可能性はありますね。
ふたつめは至ってシンプルに、先生に没収される不必要なものだからです。これは愛衣が消しゴムと気づく前に玩具の指輪やマニキュアなら一発で即没収と思っていることからの推測です。即ではなくとも見つかるとあまりよろしくないものでしょう。先生へのやましい気持ちが匂いなった可能性はあります。
とはいえ、ここではまだ匂いが「隠しごと」に反応している可能性も全く捨てきれません。
②について。
愛衣を除いて会っていることがバレる前、二人からは匂いがしていました。香奈恵の母親から仁美だけが家に遊びに来たと明かされそうになると、仁美の匂いはさらに濃くなります。
ここにも仮定は二通りあります。
ひとつめは、愛衣への罪悪感が募ったから。真実を知った愛衣が悲しむとの思いが、黙っていた負い目をより刺激した。
そうすると、匂いは隠しごとに加えてそこから生まれる罪悪感からも生じることがわかります。
ふたつめは、隠したいという気持ちが強まったという仮定です。それが隠しごとの殻を厚くし、匂いも強まったという可能性。
この後、愛衣に二人だけで会っていた事実を伝える直前、仁美から匂いは消えました。
これは隠しごとが無くなったからでしょう。
匂いが隠しごとから生じるという前提はここでは崩れません。
もしも仁美が罪悪感を抱いていた理由が、「愛衣を除いて香奈恵と会っていた」ことに対するものなら、匂いが消えるのはおかしい。寧ろさらに匂いを増すはず。よって、ひとつめの愛衣を悲しませる負い目という罪悪感は可能性が薄い。
一方、ふたつめの「隠したい気持ちが強まった」については可能性が高くなりました。仁美の罪悪感の根元が「愛衣にその事実を黙っている」では無く「バレたくない」気持ちだったから、明かす覚悟を決めた時点で匂いは消えてしまった。
つまり、匂いは自己防衛の瞬間に強くなるのだと考えられます。
相手が隠しごとを知ってどう感じるといった思いやりの感情ではなく、相手に隠しごとをした瞬間から生じる「知られたくないという感情」が、匂いを発するのです。
③について。
前提として珠紀は愛衣に本音を問うため、嘘をつきます。正しくない漫画の内容をさもあるかのように伝え愛衣の出方を伺うその行為は嘘であり、愛衣に対して本心を隠しているのにも関わらず、珠紀から匂いは生じません。しかし、知らないのにも関わらず知っている体を装った愛衣からは匂いが生じます。
私が「隠しごと→匂い」を疑ったのはこの出来事があったからです。珠紀の行動はれっきとした嘘。偽る行為だけを抽出すれば隠しごとと同じではないのか、と考えました。
しかし珠紀は匂いを発しません。これを、バレたくないという自己防衛が働いていないからだと仮定してみます。
愛衣が嘘をつかないか確かめる珠紀にとって正しい嘘→確かめているだけだから罪悪感がない→事実は偽った(漫画の無い内容を有るとした嘘)だが、隠しごと(バレたくない)では無い(寧ろバレてくれれば良い)→自己防衛をする必要がない。
一方、愛衣は珠紀のことが好きだからと嘘をつきます。この嘘に決して欺こうという意図はありません。しかし、愛衣は自身に匂いを感じてしまいます。
珠紀と話を合わせたいからつく愛衣にとって正しい嘘(漫画の知らない内容を知っていると伝える)→珠紀が好きだからついた嘘なので罪悪感はない→事実(知らない)を偽ったとバレたら珠紀に嫌われるから隠しごとである→バレたくない→自己防衛の必要がある
②③から、おおよそ「知られたくないという感情」=自己防衛が匂いの根元である可能性を強めることが出来ました。①もそうだと良いですが……。
また、感情に関する嘘と隠しごとの違いも少しだけ理解できました。
”隠す”と”偽る”は明らかに別物なのにややこしいのは、心としての本質は近い場所にいるからなのかもしれないですね。
ここまで愛衣の「隠しごと→匂い」の枠を広げてきましたが、実は愛衣と同様の能力を持っている可能性のあるものが物語に出てきます。
それはウサギです。
「ウサギ」
「あなたたちはウサギに狂ってる」
「引用元:『クレイジー・フォー・ラビット』
(p37,L12)(2021年)ー奥田亜希子ー朝日新聞出版社」
本来なら四年生のみが担当している飼育当番を、愛衣と珠紀はやりたいからという理由で勝手にやっていました。後輩に見つかったとき珠紀が熱弁していたという運の悪さも重なり、二人は先生に怒られとどめにはこう言われてしまいます。
なかなか強い言葉だとは思いますが、これは表題でもあります。そしてこれは、たいした理由もないのに漠然と珠紀と友だちになるため嘘までつく愛衣への客観的な指摘でもあるのではないでしょうか。
そんなウサギは学校の校舎裏で四羽飼われています。皆が呼ぶ名前とは違う名前で四羽を呼ぶ二人のお気に入りは、珠紀がココア、愛衣がミルクです。
話は隠しごとへ戻りますが、愛衣が可愛がるミルクというウサギが、愛衣と同じく隠しごとに匂いを感じている可能性があると私は思っています。
二本目のオオバコを食べ終えたミルクが身を捩る。蹴られた胸が痛い。
「引用元:『クレイジー・フォー・ラビット』
(13,L4)(2021年)ー奥田亜希子ー朝日新聞出版社」
名前を呼び、草の先を小さく揺らす。狙いどおりにミルクはしばらくそれを見つめていたが、やがて顔を府いっと背けると、小屋の隅に駆け出した。
「引用元:『クレイジー・フォー・ラビット』(p23,L15~16)(2021年)ー奥田亜希子ー朝日新聞出版社」
このどちらも愛衣が直前や直後に自己防衛を働かしています。
ひとつめは、本当は自分も求めている行為に近しい消しゴムの交換を否定されるが、合わせて自分も否定したとき。
欺くためではなく、嘘の言葉で心を偽り共感することで、珠紀と自分は仲良くなれない関係じゃないと思い込もうとした。
ふたつめは、雨に濡れたオオバコを食べないミルクにを見かねて、水滴を拭いもう一度あげようとしたとき。
自己防衛というと言葉が大きいですが、バレたくない誤魔化しのような行いから、匂いが生じる可能性もあるでしょう。
これくらいなら愛衣は感じなくても、ウサギならわかるような気もします。
なんといっても、ウサギは嗅覚が鋭いので……。
【まとめ】
ここまで書いてきた内容を、端的に捉えている一文が本文にはあります。
それはこの短編の時代を示唆する、とある宗教団体による事件の過熱した報道を見て愛衣が内心で呟いた思い。
みんな本当のことを知りたがっている、と思う。
「引用元:『クレイジー・フォー・ラビット』
(p20,L4)(2021年)ー奥田亜希子ー朝日新聞出版社」
真の共有に限っては、これがすべてではないでしょうか
【終わりに】
私は今回ブログの初めに、『人生で一番人間関係に悩んだ時期は小学生である』という趣旨の内容を書きました。そしてそれは半分以上が嘘であると言い以降の思考を巡らせます。しかし、これらが全て嘘だったら。
本当の私は人生で人間関係に悩んだ経験は一度も無く、しかし成人式には面倒だからと出席しなかった。一回語った前提をあっさり嘘だと言い、別の姿が私だと知って、どう思うでしょう。
ほとんどの人はなにも感じないと思いますが、中にはあまり居心地の良くない感情で引っ掛かりを覚える人もいるかもしれません。
私がこのブログで書きたかったのは、知りたいのは本心ではなくあなた自身だということです。
なにを言うかではなく誰が言うか、といううたい文句が私はあまり好きではありません。言葉を単体としてではなく人と密接に捉えることは、言葉の奥行を狭めてしまいかねないと思うからです。しかし同時に、それは仕方のないことだとも思います。言葉を喋るのが人間な以上、言葉を含めてまるごと人間を見てしまうのも可笑しいことではないでしょう。
言葉を信じることは常にその人を信じることには必ずしも繋がりません。
でも、常に人を信じることにはその言葉への信頼も内包されています。
だからこそ、私は嘘を許容する関係すらも、真の共有であり、本当の関係と呼びたいのです。
言葉を嘘と分かってもその嘘に目を奪われ人に目がいかず、自らに生じた感情をぶつけてしまうことを、私はどうしても相手を思っての行動として真の共有だとは思えないのです。
その人が相手をしているのは自分です。その対象に嘘をつく相手に目を向けないで、はたして正しいといえるのでしょうか。
真の共有には必要不可欠であろう本心の解放。
そのために不必要な内側を隠す自己防衛。
言葉と人が密接なように、本心も嘘もあなた自身だ。
嫌われたくないと思い相手に合わせるのを互いに気を遣い居心地が悪いと感じるかもしれないが、だからといって真ではないという基準は、自分がそう思うからでしかない。
相手に合わせた会話を望む人が、それを咎められる謂れは何もないのだ。
今回の短編では愛衣が珠紀に嘘をついた。愛衣が望む真の関係は心の一部を預けあう関係だ。それにも関わらず愛衣は自らその関係に必要な本心の解放を怠った。珠紀と求めるものは同じだった。それにも関わらず友情が至らなかったのは、意見が違えば嫌われるかもしれないという愛衣の思い込みがあったから。そして珠紀が、そんな愛衣を隠しごとの内容ごと容認しようとはしなかったからだ。
このブログを書いているあいだに、いかに自身が求めている感覚が意味のないものかに気づけました。
それでもなお、知りたいと思えたあなた自身とこそ、誰かは嘘すらも許容した親友になりたいのではないかと私は思うのです。
このブログ、ずっとなにを語っているんだと感じている方もおられると思います。けれど書き終えてしまえば私もこの怪文書には説明がつけられなくなっていますので、後日の説明は致しかねます。ご容赦ください。
かなり本文以外の始まりと終わりが分かりづらいのは、ほんの一部の方だとしても感覚を届けてみたかったからこその構成となっております。
少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。
このクレイジー・フォー・ラビットにはあと四作の短編があります。もし機会あればまた書きたいなと思いますので、その時はまた読んでくださると嬉しいです。
ここまで文章を、そして感覚を共有してくださりありがとうございました!