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『Why I'm No Longer Talking To White People About Race』を日本人として読む

イギリス人記者Reni Eddo-Lodgeの『Why I'm No Longer Talking To White People About Race』を読んでの感想文です。

この本を読む前まで、自分はBLMのデモに日本人が参加する意味が分かりませんでした。むしろ、渋谷の路上での抗議やSNSで投稿をする人を見て「正義ふりかざしてんな」「もっと日本には大事な問題あるでしょ」と不快感すら感じていました。

本でも言及されているようにBLMに関わる運動は主にアメリカが中心に起きています。なので著者が住むイギリスでは「黒人差別が存在しない」と思っている人も多いそうです。日本もその点では共通しているのではと思っています。

日本は欧米のような奴隷制度の歴史はないし、黒人を卑下したり差別的な言葉を発するような人は周りにいない(そもそも黒人がいない)。でもアジアでもなんとなく黒人は生きづらいんだろうなというのは感じている。そんな感覚の人が多いのではないでしょうか。自分はそうでした。

しかし私はこれを読んで、人種差別が自分とは無関係である、という考え方をしてしまっていたことに気づきました。

"White privelege(白人特権)"という言葉があります。

人種差別について考えるとき、人種を理由に不当な評価をしたり偏見をもったりするのがよくないというのは誰でも想像できることだと思います。

しかし自分が生まれ持った「特権」は、自分で気づきにくいし、それが存在することを認めるのは、難しいです。

「人種差別はない」「自分とは関係ない」と強者側が言うことは簡単です。「そもそも黒人が少ない」「問題として優先度が低い」「自分はそういう態度を取っていない」「実力社会だ」といくらでも言い訳を立てることができてしまうからです。

日本に住む日本人として自分は、「関係ない」と自分で判断をしてはいけないと思いました。自分は恵まれた環境で育ち、今も恵まれた立場にいる側の人間だと自覚し、その「特権」をもつ立場にいる者として、それを認めなければいけないと思いました。たとえ気まずくて複雑で自分にメリットがなくても、差別や不平等の撤廃に向けた行動を取り続ける義務があるのだと知りました。

「じゃあ行動とは具体的に何をすればいいんだ?」ということも聞きたいと思ってました。

でも人種差別は根深くて、目に見えなくて、複雑で、正しい答えはないのだと知りました。

誰もが正しい行動を取りたいと思っているはずです。正しい行動は自分でしていても気持ちがいいし、周りは褒めてくれるし、社会的にも評価されるし、SNSでも映えます。

でも黒人差別という問題を解決するには、誰かに褒められるためでも、自分の出世のためでも、SNSでいいねをもらうためでもない、気まずくて恥ずかしくてかっこ悪い姿勢が求められているのではないかと思いました。黒人差別の歴史の上に、今の自分たちの立場があるということを認めるところからはじめなければいけないのだと思いました。



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