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認めたくない自分を、少し離れたところから見られる日が必ず来る

こんにちは。今日の月も綺麗です。
東北の方々、地震怖かったと思います。今日は、少しでもゆっくり休めますように。

今日は、認めたくない自分を少し離れたところから見られる日が必ず来る、ということについて書きます。

このところ、私は自分の仕事面での先行きに不安を覚えて、あれやこれやと細いことを色々考え込んでいました。仕事が減るんじゃないか。あの仕事はうまくいかないんじゃないか。
自分はこれから必要とされるんだろうか。
今思うと、本当に小さいことにこだわっていたなと思います。

お客さんが言った細かいことを、変に勘ぐって考えてしまったり。
物事をネガティブに考えてしまったり。
相手に対して萎縮して考えてしまったり。
そんな日が少し続いて、仕事がなんだか楽しくない日が続いていました。

それが、ちょっと仕事の山が超えたときです。
ふっと先が見渡せたようになった途端、自分がこだわっていたことが、とても些細なことだったことにも気がつきました。
ダメかなと思っていたことが、全然大丈夫だったり。取り越し苦労だったり。
ネガティブに考え始めると、こんなに自分の思考が悪循環になるんだなと痛感しました。

この悪循環を抜け出したきっかけは、やはりそんな中でも、山を乗り越えたこと。
乗り越えたら、見晴らしが良くなって、山の頂上から後ろを振り返ると、自分の苦労して登ってきた道が後ろに見えます。
その時に、やっと苦労して苦しんでいる自分の姿を離れて見ることができたんだと思います。
苦しんでいる自分の姿を、対象として捉えられたというか。

苦しい時は、どうしても自分しか見えない、自分を客観的に対象として見ることができない。どうしても心と完全に一体化して考えてしまうのだと思います。
苦しんでいる自分、悲しんでいる自分、嫌いな自分に直面している時は、どうしてもその自分を許せずに突き放すことができない…その認めたくない自分自身の存在自体が許せないからなのでしょうね。
でも、そんな自分を許せる時が来る(乗り越えることができる)ということを信じていれば、そんな認めたくない自分を少し離れたところから、見られるように必ずなるということがわかりました。

今日も、この時間まで仕事の準備をしていましたが、そんな自分も客観的に今は見られています。
人によっては、割に合わない仕事、ワーカホリックな馬鹿げた働き方、というかもしれませんが。
そんな自分を許せる時が必ず来ると思うので。

さ、今日はこれから休んで明日また元気に頑張ります。
今辛い方も、悲しいことがあった方も。きっと、そんな自分を遠くから眺められる日がきます。
明日も良い日に。おやすみなさい。


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