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"守るべきものの存在"が人生を分つ(映画『渇水』感想)

こんにちは、ゆきふるです。

今日は、昨年6月に公開された映画『渇水』を鑑賞した感想についてお話ししてみたいと思います。

個人的にはすごく没入して鑑賞できたとても印象的な作品です。
斬新な世界観と、その中にある人間ドラマが魅力的で、思わず引き込まれるような映画体験でした。

※本記事は映画『渇水』のネタバレを含みます。
ネタバレが望むところではないという方はこの先をお読みにならないようお願いします。

映画『渇水』とは

基礎情報

監督:高橋正弥
原作:河林満
脚本:及川章太郎
主演:生田斗真

出典:映画.com

あらすじ

日照り続きの夏、市の水道局に勤める岩切俊作(生田斗真)は、同僚の木田(磯村勇斗)とともに来る日も来る日も水道料金が滞納する家庭を訪ね、水道を停めて回っていた。
妻(尾野真千子)や子供との関係もうまくいかず渇いた日々。
県内全域で給水制限が発令される中、岩切は二人きりで家に残された恵子(山﨑七海)と久美子(柚穂)の幼い姉妹と出会う。
父は蒸発、一人で姉妹を育てる母(門脇麦)も帰ってこない。
困窮家庭にとって最後のライフラインである“水”を停めるのか否か。
葛藤を抱えながらも岩切は規則に従い停水を執り行うが―。

映画『渇水』公式サイト


モチーフとしての「水」の万能さ


まず、本作を見終えての私の率直な感想は、

お腹いっぱいだなあ

でした。
そういう気分になったのです。

どういうことかと言いますと、本作は「水」という私たちの日常に無くてはならないほど密接なものをモチーフに、この「水」の持つあらゆる顔を存分に描くことで、作品のストーリーを際立たせていたのです。

この「水」の使い方の豊富さに、思わずお腹いっぱいという気分になってしまいました。

例えば「水でっぽう」や「泪」、「雨」、「ダム」などなど…
さまざまな切り口で「水」というモチーフを介在させることで、効果的に濃い”人間ドラマ”を描いているのです。

そう、タイトルと冒頭のシーンから、初めは「水」、そして「渇水」のお話なのかなと思いながら観ていましたが、実はそうではなかったのです(あくまで私の個人的な見解です!)。

「水」および「渇水」という現象は、あくまで人間と、人間関係、またそこにある葛藤やその他の感情たちを描き出すためのモチーフとして機能しているのであって、それ自体が主題ではないのだ、と感じました。

その意味で、「」は人間の持つ「望」という性質、いわば人間の持つ一部分との相性は非常に良く、メタファーとしてたいへん優秀な象徴なのだという気づきがありました。



"守るべきものの存在"が人生を分つ


またもう一点、あるテーマを軸に本作について語りたいと思います。

私は、 "守るべきものがあるか否か" という違いも本作の重要なテーマの1つなのではないかと思いました。

本作の終盤で、主人公である岩切はついにレールから外れた行動に出てしまい、公園で水を撒き散らすテロ行為に走ります。

このテロ行為、つまりレールから外れた行動を起こすことができるのは、基本的には「守るべきもの」が無い人、それこそ子どもや奥さんなどの大切な家族、あるいはそれに代わる存在がいない人であり、本作では登場人物たちの中に、この目には見えない線引きがなされていると感じました。

物語の序盤では、実の子どもと離れて暮らし、一人悠々自適に暮らしていた岩切が、さも「守るべきもの」がある側の人間の代表のような顔をして、水道代の取り立て任務を淡々と遂行していく様子が描かれます。

ですが実際には、家族とは顔を合わせることもなく、一人で生きているため、「守るべきもの」は無いのです。

その事実が浮き彫りになることで、最終的には「守るべきもの」が無い人間にしか起こせない、テロ行為に及んだのではないでしょうか。

人間誰しもに共通する「渇望」と生きる環境の差異による見えない境界線、それによる行動の制限、そんなテーマ性を感じ、人の社会活動について何度も考えさせられる作品でした。


今日はこの辺で。
では、また。


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