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我輩は人間である。名前はまだある。
その日、私はいつものようにオフィスで黙々と仕事に取り組んでいた。パソコンの画面には、これまたいつも通り、無数の数字やグラフといった情報が所狭しと並んでいる。
ふと、ビルの窓から外の様子を覗いてみると、隣のビルでも似たような会社員が、似たような作業をしている姿が見えた。昼休みを取り損ね、午後の半端な時間にオフィスを一歩出ると、都会の喧騒が聞こえてきた。
社会人も3年目、こうした光景になにか特別思うところがあるわけではない。が、漠然とした居心地の悪さのようなものは日々感じてしまう。
なんとなく、人のいないところで休憩したいと思い立ち、目についた小道に入ってみた。
そこには一匹の猫がいた。猫はこちらに気づくと、じっと見つめてきた。
(こいつ、なんか風格のある猫だな。)
▫︎▫︎▫︎
猫。
なぜだかわからないが、ふと
「我輩は猫である。名前はまだ無い。」
と、かの有名な夏目漱石の小説の冒頭一文が頭に降ってきた。
(お前が言ったのか?)
猫は当然、答えない。
微動だにせず、ただこちらを見続けている。
名前はまだ無い、か。
名前の無い猫は存在しても、名前の無い人間は、基本的には存在しないなあ。などとどうでもいい考えが私(人間)の頭に浮かんだ。
おそらく、私はこの時潜在的に、この無駄な対比の果てに、いや、「我輩は猫である。名前はまだ無い」のあとになにか続きを求めていた。
要するに、現実逃避の矛先を、たったいま出会った一匹の猫と漱石に向けたのだった。
するとそんな私の雑念に応えるかように、猫が次のようなことを言い始めた。
(勿論、本当に言葉を発したわけではない)
「それが正しいのであれば、お前はまもなく、猫になるということだ。」
(どういうことだ?)
意味がわからない。
いや、この猫の発言は私の脳が勝手に脚本しているセリフなので、少し考えれば発言の意図は理解できる。
(なんとなくわかった。つまりお前はこう言いたいんだな。私には今現在、名前が確かにあるが、その存在感は徐々に希薄になってきている。だから実質、名前がないに等しい状態になってしまう日がくるのだと。)
私の返答の意図について少し補足させて欲しい。
社会の喧騒の中で、1人の会社員として日々過ごしている私のような人間は、当然ながら個人名を持ってはいるが、その個人名の存在感は、例えば学生の頃と比べて目減りしているような気がする。
自分が何者であるか、信頼に値する人間であるか、そうしたことを表すために、個人名のほかに会社名などのラベルは必要である。
これは子供であっても大人であっても共通であると思うが、社会の中で、名前は私たちのアイデンティティを象徴するものである。
ただ一方で、その存在感についてはというと、時間とともに変容していくのではないか。
人々は、名前を通じて個々の特徴や役割を理解し、社会的な位置づけを感じる。
しかし、時折その名前の存在感が薄れてしまうと、自己同一性を見失いかけるような錯覚に陥ることもあると思う。
こうした潜在的な感覚から、私は先ほどのような返答をしたのだ。
すると、猫はダメ押しのようにこう言った。
「だが、まだある。」
(仰る通りだね。ありがとう。)
▫︎▫︎▫︎
今回の猫との出会いは、私の内なる葛藤を浮き彫りにするような出来事だった。
猫の言葉は実際の第三者からの言葉ではなかったが、その視線と"静寂"の中に、私の心に響く意味を感じた。
また、私は漱石の小説の一節を通じ、自己の現状を映し出されているような錯覚にも陥った。
名前があるにもかかわらず、それが希薄になりつつある、という危機的な感覚を。
猫の言葉が伝えていることとはすなわち、「名前があるだけでは真の"存在"を意味しない」ということだろう。
せっかく人間として、名前を口に出して名乗ることのできる生命体として世に存在しているというのにも関わらず、だ。
名乗った名前に意味を持たせたい、と思った。
▫︎▫︎▫︎
別の日。関係者とのミーティングにて。
「A株式会社さん、ご意見はありますか?」
「A株式会社の〇〇です!私の意見と致しましては...」
「〇〇さん、ありがとうございます!」
私はあの時の猫に向けて、あるいはこの世界に向けて心の中でこう言った。
(我輩は人間である。名前はまだある。)
ここまで読んでいただきありがとうございます。
大好きなアーティストの大好きな曲の大好きな歌詞を添えて。
名前を呼ぶよ 名前を呼ぶよ
あなたの意味を 僕らの意味を
名前を呼んでよ 会いに行くよ
命の意味だ 僕らの意味だ
では、また。