「かわいい」を獲りにいく
赤子を育てるのって、結構大変だ。
水は、透明です。くらい自明のことを言ってしまった。
夫が育休から復帰して以来、けっこうな割合をワンオペで過ごしている。
牧歌的な平和なときが流れることもあれば、ヘソを曲げた子が三國無双してるようなちょっと大変な時間帯もある。
ワンオペ育児が大変な時って、感覚的には、ファミレスのピーク時がずっと続いている感じだ。
オーダーが常に5件くらい平行で入っている。そしてフロアは一人だ。ヤバい。時間が溶ける。
バイトだったら、体感的にはやく時給が消化できるのでそれはそれでアリだが、実生活の時間が溶けていくのはそれなりに虚無感と疲労感が蓄積され、感情がオフになる。
そんなときどうするか。
「かわいい〜」を穫りに行く。「かわいい」狩りにくり出すのだ。
他人の「かわいい」が肌ツヤになる
赤子連れだと中高年女性を引き寄せるのは以前も説明したとおりだ。
あるとき、ベビーカーを押していたら、左側から野生のご婦人が現れ、怒涛の「かわいい~」「すてきな赤ちゃん〜」シャワー噴射が始まった。
さらに間をおかず「ちょっとあんた!!かわいいわよ!」と仲間のご婦人を召喚。ノータイムで第二婦人に距離をつめられ、右側からもシャワー噴射開始。
両サイドからのかわいいシャワーサンドコンボが決まった。
ひとしきりのシャワータイムを終えるとご婦人たちはおもいおもいに「いいもんみたわね~」と散っていった。
知り合いじゃないのかよ!!
そのくらい、赤子には関係値を超えた吸引力がある…。
そんな日々で気付いたことがある。
なにはともあれ、子を「かわいい~」と尊とがってもらえると、感情がカスカスになったときも、こんな尊い存在を生かしてる自分、自分はつまり尊いのでは?と自己肯定感があがり、若干肌にツヤが戻るというか、感情がよみがえってくるのだ。
肌、ツヤツヤにしたいじゃないですか…。
加えて。
体も精神もカスカスのときでもつねに子はかわいいとは思ってる、思ってるけど、自分のかわいさ感度はどうしても低下する。
その低下したかわいさ感度を客観的におぎなってもらえるという効能もある。
そんなわけで、自分の感情に黄信号がともると、「かわいい」ハントに出かけるのだ。
「かわいいカツアゲ」は、しない
ちなみに見知らぬ他人からの「かわいい」というのがキモだ。
友人知人親族でも、そりゃ赤子をみせたら「かわいい」はくれるだろう。
自分にも身に覚えがある。ベイビーには「かわいい」を言ってきた。
本気で思ってはいる。が、そこはかとない義務感も、ある。
ハワイユー?アイムファイン。みたいなことだ。
だから「かわいい」がもらえることはわかっちゃいるが、それは社交辞令もといマイルドかわいいカツアゲといってもいいもので、自意識過剰な私は過去の行いがたたって心がソワソワしてしまい、それが自己肯定感をあげるにはノイズになってしまうのだ。
その点、たまたまエンカウントした他人からのかわいいは、コンサートにおけるファンのコールみたいなものである。
だって別に思ってなきゃ無言で通り過ぎるだけである。
彼女・彼らは、本気だから声をあげるのだ。
マジのかわいいだけが、私の肌に潤いをもたらす。
というわけで、心がカスカスになったときは、そんな受動的かわいい狩猟に出かける。
「かわいい」ハントのすすめ
メインターゲットは中高年女性だ。
彼女たちが多く・かつリラックスして活動していそうなフィールドを狙う。
人口密度にゆとりがある、誰も急いでない平和な時間帯、中高年女性がポジティブな気分でゆったりと闊歩していそう。
それが狩り場だ。
まあ具体的には、昼下がりのちょっとイイスーパーとか広めのドラッグストアとかである。
で、こちらからのアプローチだが、特に何もしない。ウロウロするだけだ。待ち。圧倒的待ちの姿勢。
これは受動的狩猟だ。こちらはなにせ買い物がてら回遊するだけだ。砂に息を潜めるヒラメとかみたいな狩りのスタイルだ。
で、肌感的には、まあ最低一狩り二かわいいくらいは狩れる。
赤子を一人で連れて出かけるのって、多少の労力は必要になるからおっくうになりがちなのだが、コストをペイするだけの回復は得られると思っている。
そんなわけで、ステルス厚かましさを持ちながら、私は静かに「かわいい」ハントに繰り出すのであった…。
育児でカスカスになったときは、お試しください。