表現と主張
自己表現って何でしょう?
赤ちゃんの頃から人は自己表現をするって言われますよね。また赤ちゃんの表現力って強いと思ったことがある方も多いかと思います。オムツが気持ち悪いよ〜!お腹すいた!これやだ〜!ぎゃー、みたいな、、
でもこれは、自己表現というより自己主張ですよね。それに対して、赤ちゃんが何に何を思ってるかわからないけど、ニコってする時、それを見てる人にも、言葉にはできない温かいものが伝わることがあります。こっちの方が表現なのではないかなと私は思います。
何が違うかというと、伝える内容に言葉にできる具体性があるかないかです。具体性があると、それは主張になるのかもしれません。
じゃあ、文学はどうなんだ?具体的な伝える内容があるじゃないかって言われるかもしれませんが。もちろん優れた文学には必ず何らかの主張があります。でも、「吾輩は猫である」という冒頭の文章から読者に伝わるものは、夏目漱石が主張したかった内容以前に、漱石の言葉の選び方などから生まれる、言葉にできない何かが伝わってくることも確かです。
「言葉にできない」というのがキーワードだと思います。
私は絵が世界一下手です。以前、アメリカで、英語も日本語もできないある学生に「バッタ」を伝えたくて、「Grasshopper」と言っても当然通じず、この絵を描いて、その学生がバッタってわかった瞬間に床が抜けるほどわらわれました!
そんなに絵心のない私ですが、絵を見ると何か感じます。数年前、ニューヨークのメトロポリタン美術館で見た絵はこれです。これ、実はすごく小さい絵です。しかも美術館の部屋と部屋の間の壁みたいなところにあったのですが、そこを通った時に、何かこの絵が舞台のスポットライトに照らされているように見えて、この絵だけが目に入ってきました(この素晴らしいアーティストはRene Magritteです!)
その後、このアーティストのことは調べましたし、この絵にどのようなコンセプト(具体的なこと)があるのかは学びました。ですが、それは本当にどうでもよくて、、この絵を見た時に私の中でこの絵にスポットが照らされたことが一番重要です!
当たり前の話ですが、メトロポリタン美術館では特定の作品にスポットは照らしません!笑
私がスポットって感じたのは、何かこの作品が言葉にならないものを伝えてくれたからだと思います。
言葉にならない感覚、、日常でたくさんありますよね!人とのコミュニケーション、外の風、太陽、空気、書けないくらい色々なものから私たちはこのような、言葉にできないものを与えられていると思います。
アートを創造する人も、それを受けてくれる人も、また、アートとは関係ない人も、全ての人がこの「言葉にできない」ということを考える必要がある時代ではないでしょうか?
もちろん、これは前回のブログで書いた、AIと人間が共存する時代への第一歩だと思って書いています!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?