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母親の言葉は呪い

産後うつが長引いています。娘を生んでもう8か月も経つのに、うつうつとした気分が回復しません。

自分の決断に自信が持てず、目に映る全てのものが恐いというか不安感が強いままです。私は過去にパニック障害とうつ病になったことがあって、治療には長い年月がかかったので、せっかく治ったものをもう一度回復させようとすることやその過程を思うと正直考えるだけで憂鬱になってしまいます。

ふとなぜこんなに私は自分に自信を持つことができず、リラックスをすることも苦手なのかと考えました。やっぱりいつもその答えに戻ってくるのですが、思い当たるのは母親の言葉です。

自分が大好きだったお母さん。自分が落ち込んでいると周りが見えなくなってしまうお母さん。お母さんは私のことを上手く愛すことができなかったのだと思います。

何度も何度も否定的な言葉を私に浴びせました。でも、県内でもトップクラスの高校に入学したり、知名度の高い大学に合格したり、彼氏ができたりと状況が変わっていくにつれ、お母さんは私に執着し離れていくのを拒みました。

ずっとずっと大好きだったお母さん。ずっとずっと私に背中を向けて寝ていたお母さん。私に触れるのを嫌がったお母さん。学校の話や通信簿すら見るのを嫌がったお母さん。ずーっと長い長い片思い。とっくの昔に失恋しているのです。

それが私が少し華やかな世界に入った途端、その世界を壊そうとしてくる。離れないでと言う。そんなのは絶対に愛情ではないのです。誰がなんと言おうと、誰も私の味方をしてくれなかったとしてもそれでも認めたくない。それは「愛」ではない。

大人になっても、親になっても言葉の呪いが解けない。母親の言葉の威力は凄まじい。

大人になると、昔の親のことをあーだこーだ言うことはタブーになってしまう。良い大人がいつまでそんなことを言っているのか。育ててもらったのだから感謝しなさい。お母さんやお父さんもつらかったんだよと周りの人は言う。

けれど、子供のころは親が絶対的な存在で「怒り」をきちんと感じることが難しかったりする。どんなにひどいことをされていてもなかったことにしてしまう。子どもは親に愛されていない自分というものを受け止めることが難しいからだ。

でも、大人になってだんだんと環境も変わり「あぁ自分は愛されていなかったんだな。ひどいことをされていたな」と考えたり、受け止められるようになる。

その時の「怒り」はその本人だけの「自由」で「権利」ではないのだろうか?子が親を愛さなければならないという周りの圧力は、2度目の虐待のように感じる。

「あぁ辛かった。あぁ腹が立った。あぁ悲しかった。なんであんなことをしたの?ひどい。」怒るという過程を踏まなければ、本当の意味の「許す」「感謝」は難しい。

だから私は今日、誰の許可も得ずに怒る。なぜ大事にしてくれなかったの?あんなに我慢したのに。あんなに頑張ったのに。抱きしめることもしないなんて親失格だねと。

呪いを超えよう。そして、私は心からお母さんを愛してみたい。

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