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探究とは、自己破壊である。そのためには、過去の「とらわれ」を捨てるのではなく「再解釈」する

人は「探究テーマ」を言語化することで、自分と世界の"新しいつながりかた"を探ることができる。

こうした探究的な生き方は、才能を活かしたキャリア形成の現代的な手段ともいえるけど、本質的には自分の喜怒哀楽のツボを追求する究極の娯楽であり、自分の抑圧へのケアでもある。そんな議論をしてきました。

そんな中、ふと手に取った千葉雅也さん著の『勉強の哲学』が、探究の意義や方法について別の角度から解像度を高めてくれる名著で、非常に参考になりました。

ある領域を深く学ぶと、人はノリが悪くなって、"キモいヤツ"になる

この本の趣旨を、あくまでイントロダクション程度にまとめると、

人は、周りのノリになんとなく合わせて生きている。深く勉強するとは、ノリが悪くなって、キモくなることである。新しい言語を獲得して、新しいノリに引っ越すこと。

アイロニー(ツッコミ)とユーモア(ボケ)という2つの技術を駆使することで、自分の「享楽的なこだわり」を発見し、それ自体を変えていくこと。勉強とは、自己破壊である。

…というような話。

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