今日も書くことで救われている
本当にもう、なんたって
なんたってこう厄介なんだ君は、PMS。
心のほうがダメになると、私はnoteを書きはじめる。どうしたって明るいことを書いたほうがいいし、読んでくれる人たちに有益な何かを届けられる内容を選んだほうがずっといい。
そんなことはわかっているが、心がダメなのでここに来てしまう。
昔からずっと、私にとって「書くこと」は
第一に、私自身の救済だった。
多分きっと、近いうちにnoteに書くと思うのだけど
私は幼い頃、心を病んで犯罪に手を染めている。
それは思春期の一時的な好奇心や、悪い友達との遊びの延長線にあるノリ、大人たちへの反抗心と言えるほど軽度の症状ではなくて(というかそう括られる年齢になるよりもずっと前だ)
世界はずっと灰色で、人生の大半を腐らせるような、地獄のような病だった。
物心ついた時にはもう、私は死にたいと思っていた。家族にも友達にも優しくされるたびに苦しくて、ひとりでずっと、バレないように泣いていた。普通になれないことが申し訳なくて、それを打ち明けることもできなくて。
そういう時に、書いていたのだ。誰にも言えないから、自分の孤独を自分と分かち合うために、自分の心を救うために、書いていた。「書くこと」以外に、心をラクにする手段がなかった。
書いたところで過去は変わらないし、現実から逃げ切れるわけではないのだけど。それでも誰にも言えない自分だけの心の内を紙にぶちまけて、自分が今なにを思って、なにをどんな順番で考えているのかを客観視することで
自分の人生と、鉛のように重くて苦しい心を、切り離せたように感じていたのだと思う。
私はたとえライターを辞めても、書くことを辞めることはできないだろう。
今だってこうして書いている間に、制御できずに飲み込まれそうになっていたPMSの渦が鎮静している。PCを開く前のように、もう意味もなく悲しいとは思わないし、意味もなく不安にもならない。
誰かの何かになりたくて、誰かに何かを届けたくて、生まれたほうがきっと格好良かったんだと思うけれど
私にとっての「書く」は第一に、私を救済するために生まれている。
もう病はとっくに完治したし、一生誰にも言えないと思っていたけれど「noteに書いてもいいかな」と思えるくらいには、過去のものとして心の中に置いておけている。
人生は想像していたよりも、ずっと長かった。そして私は、書き続けることで救われた。今日も、書くことで救われている。
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