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私の生い立ち(その5) 〜 高校時代の予想外の出来事② 〜

普段 何気なく見てるテレビやネット配信。
その中で流れるニュースを、全て見ることは難しい。
何か気になるワードを見つけて、それを中心に視聴していく。
ネット配信であれば検索もできるけど、結局は他人事になってしまう。


地震などの災害が起きた際、自分の身に起きてしまった時の辛さを痛感し、置かれた環境の過酷さや理不尽な状況に対し、やるせない気持ちは尽きない。
でもどこか別の場所で起きたとしても、その地に赴いたり、何か力になれれば・・・と思えるほどの行動力はない。
もちろんそういう人は沢山いるし、例え自己満足だとか、偽善者だと言われても、実際 行動に移してない人が言えた立場ではないと思う。
事実、助かってる人はいるのだから。

いずれにしろ、こういった自然現象的なものは、止められないのだから、どうしようもない。
でもこれが、事件や事故となると別の話だ。
少なくとも「人」が関わってくる。
もちろん不可抗力なこともあるから、避けられないこともあるだろう。
自分にとって予想外の出来事が、誰かにとって「意図的」だったりする。

そういうテレビで放送されるような「事件」が身近に起きたのが、高校3年の夏だった。
実は前の職場で2回ほど、全国のテレビで放送されるような事件が起こったのだが、自分が在籍する前後だったため、実際には当事者にはならずにすり抜けている。

私はバスで高校に通学していたのだが、バス停で教師が待ち構えていて、そのまま帰宅を促される。
どういうこと? 何で帰宅?
疑問で頭がいっぱいになりながら家路につき、友人に電話すると、「今すぐテレビ見て」と。
テレビをつけると、学校で人が死んでたというニュース
死んでいたのは、当直とかを担う用務員さんであった。
恐らく殺人事件だろうということと、当直室内にガスが充満しており、爆発も狙ってたのではないか、という内容であった。
「犯人はまだわからない」という締めくくりに、全身の血の気が引いた。
その用務員さんの顔は知っていて、何度か挨拶くらいはしたことがあった。
だからといって、殺されるような凶悪なイメージはなく、「なぜ殺されたのか?」としか思えなかった。

そして、爆発を狙ってたかもしれないという報道に、もしかしたら自分も巻き込まれていたかもしれない・・・という恐怖も生まれた。

極めつけは、「犯人がまだ捕まってない」という事実だ。
まだその辺をうろついてるかもしれない。
そしてまた、学校で殺人が起きるかもしれない。

何の目的かわからない以上、通学することが怖くなった。
自分が狙われてるわけではないだろうけど、でもその事件に関わってるような、そんな錯覚に陥った。
なんとなく「当事者の一人」と勘違いしてしまっていた。

事件が起きたのは週末。
週が明けても犯人は捕まらず、バス停を降りた通学路には、おびただしいカメラとかマスコミの姿があった。
学校側からは、当たり前だが「何を聞かれても話すな」という通達が出されていた。
朝、全校集会みたいなものが開かれ、黙祷を捧げた。
その時も、学校の周りにいたマスコミが、その様子を撮影していた。
帰宅時にも待ち構えているマスコミ。
そんな時間が2〜3日続き、ようやく犯人が逮捕された。

犯人は元同僚で、理由は怨恨。
その内容までは定かではないが、確実にその人を狙ったものだった。
だとしても、なぜ生徒や教師など大勢が行き交う学校で事件を起こしたのか。
その他大勢を巻き込むことになれば、被害は甚大なものになったであろうに。
愉快犯の仕業にでも仕立て上げるつもりだったのか?
とにかく無事に犯人が逮捕され、日常を取り戻した。

そして、その年の学園祭。
毎年最終日に打ち上げてる花火が中止になった。

思い返せば、あの時は事件として取り扱われたけど、知らない人にとっては他人事。
そして時が経てば、忘れられてしまう。
「そんなこともあったね」って。
その後に生まれた人にとっては、記憶にも残らないかもしれない。
でも事件だけじゃなく、自然災害とか色々含めて、大きなことでも小さなことでも、その当事者にとっては多大な影響を及ぼしたりするのだ。
他人にとって些細なことでも、当事者にとっては、人生を左右したり、トラウマが残ったり。
誰がどんな経験をしてきたのかは、見た目だけじゃわからない。

自分もいつどこで恨まれてるか・・・。
些細な言動も気をつけなきゃと思ってても、やっぱり忘れちゃったりするんだよね・・・。


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