僕の習慣は「幸せを求める」こと
このタイトルを見て僕を心配する人が出てくるかもしれませんね。笑
ズバリ、タイトル通りです。はい。
そもそも、僕にとっての「幸せ」とは
・妻と子供達、皆んなで笑って過ごす
・家族全員がゆったり乗れる車でお出かけ
・時々、焼肉と寿司(子供と妻が大好き)
・綺麗な戸建ての住まい
上記で挙げた幸せは全て僕が求めたものです。そして、今現在のは手に入れてます。(たまに喧嘩も・・・)
あなたは求めなくても手に入りそうですか?
毎日を平凡に過ごしていたら全てが手に入りますか?
僕の場合は無理でした。なので、「どうやったら幸せを手に入れられる?」を常に考えて仕事・趣味・投資を取捨選択してきました。
では、なぜ僕がこんな考えになったのかを説明したいと思います。
僕に「幸せは求めるものなんだ!」って教えてくれた人
この肖像画の人物はアメリカ合衆国3代目大統領トーマス・ジェファーソンです。
そして、こんな偉大な方が僕に「幸せは求めるものなんだぜ!」と教えてくれた張本人です。
アメリカはイギリスとの戦争後(独立戦争とも言われる)に独立宣言をしました。
そして、内容は次の通り。
我らは以下の諸事実を自明なものと見なす
すべての人間は平等につくられている
創造主によって,侵すべからざる権利を与えられている
それは、生きる権利、自由である権利
そして、幸福の追求をする権利を含む
このアメリカ国民が持っている権利のうち、幸福(幸せ)だけが「追求する」と書かれています。これはどういうことなんでしょう?
きっと沢山の苦労(戦争など)を乗り越えたからこそ気付いたことなんだと思います。ただ漠然と「幸せになりてー」なんて思っていても幸せになれないんですよ。
僕も破産を含め沢山の失敗・嫌な思いをしてきたのでよーく分かります。
つまり、幸福とは与えられても嬉しくないものです。例えば1万円のシューズとか。
もしそのシューズが人から貰った物ではなく、自分の努力で手に入れたらどうでしょう?嬉しさは比べ物にならないんじゃないでしょうか?
プレゼントされたとしても、相手が必死に手に入れてくれたものだったら?
生活に困らないくらい稼いだ経営者から聞く言葉なんですが、「寝ずに働いてたころが一番、楽しかった」です。
その当時はめちゃくちゃ辛いんでしょうけど、思い返すとその瞬間ほど人生を必死に生きる場面って中々、出会わないんじゃないでしょうか。
必死に追い求めた結果、今の幸せを手に入れたんだと僕は思っています。
まとめ
僕はこれからも自分にっとっての幸せを求め続け、手に入れた幸せを沢山の人と分け合いたいと思ってます。
こんなこと面と向かっては恥ずかしくて言えないけど。笑
でも、本気で思ってます。
少しでも「そうかもしれない・・・」と思った方はぜひ、自分にとっての幸せを考えて下さい。何がなんでも掴み取ってください。
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