ゼロから始める実家の米づくり番外編:地域の年番と年末年始
私が米づくりを行っている地元には、未だに「地域の役」というものがしっかり残っています。
集落全体で行う草刈りや清掃活動、公民館の管理は、毎月一度程度の頻度で行われます。
その他、消防団や地域のお祭りの際の法被や御神輿の管理など、人口が減少しつつある地元でも、どうにか活動を維持していこうという気概が感じられます。
今回のお話は、それら地域の役の一つである「年番」というものが我が家の番に回ってきたため、その仕事の一部である年末年始の神社への奉納と初詣の準備をした時の記録を、米づくり記録の番外編として書き留めておくものです。
初詣の準備
2021年の大晦日、私と弟は家の近所の神社へと向かいました。
毎年この地域では、元旦の早朝から集落の神社への初詣を行う風習があり、年番に当たった今年は集落の皆さんを神社でお迎えする役となります。
そのため、神社の掃除と飾り付け、ご神饌のお供えを行うことになったのです。
本殿には注連縄と幕を張ります。この注連縄、集落の人の手作りだと初めて聞きました。
本殿の外れには、すり鉢状に掘られた穴に枯れ葉、薪が放り込まれ、火を焚く準備をしています。
さながらキャンプファイヤーのように火を焚きながら、年番は神社の境内で寝ずの番をするというわけです。
ちなみに地域の年番は一軒だけですることは珍しく、今回も我が家だけではなく、もう一軒と共同で行っています。
集落内の戸数の都合上、十数年に一度、番が回ってくる年番ですが、今回は経験者であった祖父と父がそれぞれ九年前と昨年亡くなっているため、別の家と共同で当たれることはありがたかったです。
さて、大晦日のうちにできる準備は一通り終了しました。
今年の大晦日は風が強く、参道を照らす提灯の設置は元日の早朝に行うことにしました。
あとは、最も一年で寒くなることが多いこの日に早起きできるかが問題です。
元日早朝、4時に集合
さて、大晦日の晩。妹夫婦もやってきて賑やかな夕食を終えたあと、年越しから無事に早起きできた私たちは、早朝4時に集合するため、再び神社に集いました。
ここから、普段は厳重に鍵をかけてある本殿も開き、準備をしていきます。
本殿の入り口近くには、お神酒等を準備します。新型コロナ対策のため、それぞれお一人分ずつ小分けにする形で置いています。
祭壇はこのように準備しました。白菜、大根、中心には鏡餅を供えています。
このように本殿に足を踏み入れること自体初めてですので、新鮮な気持ちで準備が整っていくことを見守っていました。
こうしてみると、本殿の注連縄、お神酒、鏡餅と、いずれも米づくりと縁の深いものばかりです。
注連縄は米の収穫前後に育った稲藁を活用して作るものであり、お酒は米を精製して作るもの、また、餅は米をついて作るものです。
日本における神事に、米、ひいては稲作は不可欠なものなのだと感じさせられます。
本殿の準備が整い、最後にすり鉢状の穴の中で火を焚き始めました。これで、初詣の準備が整いました。
こちらの薪には、自宅の片付けをした際、祖父の使っていた工房から出てきた丸太を提供することにしていました。
5メートル弱の丸太は本来、柱等に使われることもあったのかもしれませんが、祖父が亡くなって以来、工房の肥やしとなっていました。
昨年の米の収穫以来、父や祖父が亡くなった後の家の片付けと、工房のポテンシャルを最大限活かすべく、一念発起して軽トラに積めるキャンピングカーを素人ながら作成し始め、その中で少しずつ工房と遺された木材も活用されてきていました。
その中で、今回は地域の伝統行事に家の木を提供するという形で貢献でき、また違った喜びと土地とのつながりを感じることができました。
その後、早朝5時過ぎから集落の皆さんがちらほらと初詣に参り、最後に
と挨拶して火に立ち寄った後、それぞれの家へ帰って行きました。
中には久しぶりの顔ぶれもいましたが、その中に同年代はなく、ほとんどが50代以上の方々ばかりでした。
火を囲みながら、久しぶりの顔合わせで話も弾む場面も見られ、その話の中では地域の小学校がまた2〜3年のうちに統合が進むこと、この集落の小学生は10人を切るほどになっていること等が話されていました。
2022年の初日に、図らずも集落の未来について考えることとなりました。
さあ、そうこうしているうちについに初日の出を見ることができました。
午前7時半ほど。最後に実家の家族がやってきて、そのまま初詣の片付けへと進みました。
今年も一年、良い年になりますように。