捨てて、集中する。 Vo.36
最近、私は『ぼくたちに、もうモノは必要ない』という本を読みました。
この本は端的に言うと、モノを減らして、今あることに満足したり、集中したりしよう!っていう話です。「ミニマリスト」という言葉が流行っているのは、こういった書籍が目に映るようになってきたからなのだと思います。
そんなミニマリストに憧れた私の休日の話です。
先週の休日はとにかく要らない紙類や本、服、小物を捨てました。ほぼ1日がかりで選別を行い、捨てることに集中していました。
本を読んでいるときは、「そんなもん、やろうと思えば躊躇うことなくできるわ。」と書いてあることをなぞって進めれば、簡単だと考えていました。ただ、実際に物を捨て始めると、躊躇うことが多かったです。
「これは、○○のときに買ったやつや」とか「これは、まだやってないし、やるかもしれなんからな」とか今までやらなかったのに、まだやることを信じている自分が居ました。そして、そんな自分に出会う度に、頭を悩ませていました。埒が明かないと思って、捨てられていない理由について書いてみることにしました。
「本当は捨てることが怖い」
これが一番の理由だと感じました。だって、今までなんとなくでもあったものが無くなるんですから。傍にいたのに…と物に1つ1つに対する想いが甦ってきたんです。今思えば、こうやって都合よく想いがぶり返ってくることの方が怖いなって思います。
そうやって、失う前にならないと想いがやってこない。それはつまり、もう想いなどないのだということだと思います。大切にしていれば、そもそも捨てたくないって意志が強く働いて、見た瞬間に置いておこう、なんなら一番近くの手元に置いておくのだと考えます。捨てるまで、そうしなかった。これは、もう想いはなくただの執着で残しているだけなのだと感じました。
片づけをし終えてみると、やはり気持ちが良かったです。何よりも、部屋のトーンがアップしたように思えて、明るい部屋になっていることに気づきました。
もう1つ、物から自然と伝わってきていたメッセージが少なくなっていた気がします。物が多ければ、それだけ多くのメッセージを伝えて来る。
「かまってくれよ~」どのモノたちも同じことを思い、そして私に訴えかけてくる。だけどそれは、今自分がやることを邪魔するメッセージだったのだと気づきます。
モノを捨てて、次のことに集中する
やることが絞れれば、自然と行動に移ることが出来ました。
新しくモノを買うことが後の処分の手間や想い入れに押しつぶされることへの億劫さを覚えて物欲も減った気がします。
食べるものも、買ったあるものから食べていこう。要らないものは、買わないでおこう。エコ人間にもなれた気がします。
なんでもかんでも捨てるのではなく、本当に必要なことを見つけるために捨てるのである。これが、「ミニマリスト」としての極意だと身をもって、体験した休日でした。
余談ですが、ブックオフで物を買い取ってもらえないもの中には、商品の劣化が激しいだけでなく、商品の売り出しが許可されていない品番のものである場合もあるそうです。売れると期待し過ぎるのも考えものですね。