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人生イップスに怯えている

イップスとは、これまでできていた思い通りの動作ができなくなること。
今まで無意識に出来ていたこと、例えば階段の降り方。
急にやり方が分からなくなってしまって足がすくんでしまうような。

飽き性だけれど、絶対にこれだけは飽きる飽きない関係なく一生やってるんだろうなぁと思っていることがいくつかある。
全く同じことは一生続かないだろうけど、要素としては結局同じもの、的な感じで。

しかし最近、あまりに飽き性なのと、自分が一番信用できないism過ぎて、もはやそういった、一生続けていくんだろうなぁという、無意識レベルで没頭してしまうものや、飽きる飽きないの問題ではない、人生そのものといっても過言ではないものすら飽きたら、急にできなくなってしまったらどうしようと怯えている。

この状態を表す、もしくはニュアンスで一番近い言葉はなんだろうと思ったら、自分的にはイップスがしっくり来た。なんというか、人生イップス。
言葉の意味を正確に当てはめると違うかもしれないけど、よーくよーく自分の思いを掘り下げていくと、これが一番近いように思う。

具体的に書いてしまうと本当にそうなってしまいそうなので書かないけど、ライトなもので言えば、このnoteを書いてなかった期間もそう。

書くことが特になくて期間が空いてしまうのは全然良いのだ。
書こうと思わなかったその空白の期間にも物語があって、それはそれでエッセイみたいなものだから。

しかし困るのは書きたい欲があるのに、書きたいことが無い、もしくは書きたいことがうまくまとまらなくて、一生懸命まとめようとする気力が、(なんか飽きたなぁ…)と襲いくる無気力にあっという間に負けること。

この期間はまさにそれだった。

書きたいことが無い、というのもちょっと補足が必要だ。
書きたいと思えるような大したことが起きてなくて、書きたいことがあったら書けばいいやと思っている場合はそれはそれで良い。
しかし違うのだ。

問題なのはこの期間、海外旅行に2回も行っていて、推しの舞台(しかも最前列ど真ん中)やファンミ(3列目ど真ん中)に行ってたりするのに、それが=書きたいことになっていないことだ。

最近は便利なもので、いつの間にか追加されていた、ジャーナルというアプリが、いつもと行動範囲が違う場所で撮られた写真があると、それを元に日記を書いてみませんかー?とお知らせしてくれる。

その通知を見て、あ、とりあえず書き残しておことなり、自動チョイスされた写真と抽出された位置情報を見ながら、タイトルや短い感想をつける。それだけ。
便利だけど。

どこかに行っていなくてもいい。映画やドラマなど心震えるエンタメに出会ったときも。
最近で言うと、あるドラマに毎回毎回心が揺さぶられていて、最終回直前までは、円盤も買うだろうし、配信も何十回もまた観ちゃうだろうし、もう震えながらnoteに書き殴っちゃうんだろうしと思ってた。

しかし最終回の放送直前に、もはや今となっては誰も気にしてないだろうなぁというレベルのことで個人的に物凄くケチがつき、最終回を醒めた目で観てしまい、そのままそのドラマへの情熱も醒めてしまった。
最終回が悪かったとかは全然なく、なんならものすごく良い終わり方だったし大好きな作品に変わりはない。

そのドラマがなんでそんなに好きなのか、なんかうまく好きな理由が言語化できなかったところ、過去にものすごく好きだったドラマとの共通点が見えて、あぁ自分はこういう価値観の表現が好きなんだなぁと実感できたら、やっぱりケチがつこうとこのドラマが好きだった。だから書こうと思った。

のに、今度はこっちの理由で書けなかった。
> 書きたいことがうまくまとまらなくて、一生懸命まとめようとする気力が、(なんか飽きたなぁ…)と襲いくる無気力にあっという間に負けること。

書きたい欲が無意識に出てくる。
練りながらその思いを綴りあげる。
無意識レベルで湧いてくる健全な欲求なのに。

急にできなくて。イップスじゃんと。


ここまで書くことができた。
少しリハビリできた気がする。

書けないということを書くみたいな、書く連載を持つ人の処世術みたいなことをしてしまったが、書けて良かった。
急にできなくなりたくない。
とりあえず脱せたと思いたい。

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