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なぜ天動説は支持されたのか ⑥ティコ・ブラーエ

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ティコ・ブラーエによる精密な観測


ティコ・ブラーエ(1546-1601)はデンマークの大貴族で、豊富な資金と人を導入し当時の観測技術で行える最高の測定を長期間にわたって行った人物である。
ティコ以前にも星を観測して位置を記録していた人々はいたが、当時はデータの扱いが雑で誤差や誤りも多く、観測期間も短かった。例えばその地域からは見えるはず星が載っていなかったり、星の位置が大きくずれていたり、観測期間も数か月~数年であった。ティコが行った観測の精度、範囲、期間はそれまでの測定技術を量、質ともにはるかに圧倒するものだった。

ティコ・ブラーエの肖像画
周辺を囲むのは高貴な祖先の紋章

それは大貴族として当時のデンマークの国家予算の1%ともいわれる潤沢な資金を投入できる立場にあったからということもある。だがそれだけでなく、哲学こそが至高であり観測器具の設計や改良は卑俗な職人が行うべきと見下していた当時の知識階級の常識に対して、彼が正確な観測のために道具の作成や改良を進んで行っていたことも大きい。彼は数メートルの観測機器を製作したり、そのたわみの矯正方法を検討したり、様々な場所で観測するためにコンパクトに折りたためる測定機器を作製することで、それまでの精度をはるかに上回るデータを採取するに至った。
この高精度の測定結果によって、その遺志を継いだケプラーが惑星は楕円軌道を描くことを発見することができた。

描かれているのはティコが設立した天文台に設営された観測機器。
大規模な半円の目盛りは読み取り誤差を小さくするため。

また、ティコは詳細な観測によってアリストテレス自然哲学の前提が誤りであることをいくつが指摘するという重要な役割を果たした。
ティコのキャリアの初期に、その当時に起きた超新星の詳細な観測を行い、超新星が太陽系の外で起きている、つまり天界で新しい星が誕生していることを突き止めた。さらに後年には彗星の詳細な観測を行い、彗星は天界で起こっている現象であることを指摘した。
彼のこの二つの発見によって、天界は永遠に不変であり、彗星の飛来は流星やオーロラと同じく大気圏内で生じる現象であると主張したアリストテレス自然哲学に間違いがあることが判明した。

以前アリストテレス自然哲学が二千年近く信じられてきたと述べたが、中世の人々にとって古代ギリシャやローマ帝国は失われた繁栄の時代であり、時代が下るごとに世界は荒廃していき、賢者も生まれなくなってきていると考えられてきた。したがって聖書をはじめ、アリストテレスのような古代の賢者たちの文献は神格化されて、絶対視に近いものがあった。
しかし、ティコをはじめとしてアリストテレスの自然哲学が否定されるような観察結果などが少しずつ出始めることで、「アリストテレスは本当に正しいのか?」という風潮が少しずつ表れるようになっていき、地動説をはじめとした新しい理論が受け入れられる土壌が養われていた。

彗星に関して彼はさらに詳細な観測を行い、天界の中でほかの惑星軌道を横切って運行していることを突き止めた。これによってこれははるか古代プトレマイオスの時代から存在すると考えられた天殻は否定されることになった。
天殻とは、太陽や惑星が天界の中空に存在するために落ちないように支えているとされた透明な殻のことだ。この天殻が動くことで星々は一緒に運動していると考えられていた。そして天殻は真球であるため、天殻にくっついて運動する惑星も真球を組み合わせた運動しかできないと考えられていた。
ところがティコは彗星が惑星軌道を横断するような軌道を取ることを明らかにした。天殻が存在してしまうと彗星は天殻を突き破って運動していることになり天殻は穴だらけになってしまう。つまり天殻とものは存在しないのだ。天殻という概念がなくなったことで、後年ケプラーが惑星の楕円軌道を提唱した際に、それが受け入れられる土壌にもなったといえるだろう。

最後に彼が提唱したティコ・モデルとも呼ばれる天動説と地動説の折衷案のようなモデルを紹介する。このモデルは天動説に分類されるが、地動説を地球静止系で見たのとほぼ同義で、かなり地動説に近いモデルとなっている。
これは彼が天殻を否定したことによって、惑星や彗星の軌道が重なっても問題ないことが明らかになったために提案することができたモデルだ。
ティコ・モデルは天動説を取りながらも、天体の運動を地動説と同程度に説明することができるので、後年ケプラーによって地動説優位になったのちも地動説を受け入れられない人々にとっての拠り所となり、それなりの間、地動説の対抗馬として支持されていたようだ。

ティコ・モデルの概要図
ティコ・ブラーエが主張した、地球は静止して太陽と月だけが地球の周りをまわり、地球以外の惑星は太陽の周りを公転するというモデル。地動説との違いは太陽系を太陽静止系で見るか、地球静止系で見るかしかない。天動説の立場からでも内惑星/外惑星の説明ができるなど天動説と地動説の折衷案のような位置にある。


彼自身はコペルニクスの地動説を称賛・支持したが、天動説を捨てることはできなかった。これほどまでに大きな質量を持つ地球が高速で運動することは不可能だという考えがあったようだ。
また、皮肉にも彼自身の精度の高い観測によって、地動説が正しいなら宇宙は際限なく広いことを突き止めたが、彼はまさか宇宙がとてつもなく広いとは思っていなかったのだった。


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