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失われ「かけた」伝統工芸

もう誰にも作れない。作り方がわからない。そんな伝統工芸品、実はたくさんあります。私の作っている竹工芸品もそのひとつです。
正確には、「でした」。
今回は私の関わっている伝統工芸品と活動について少しだけご紹介します。

京都のある神社に伝わったもので、年に一度八朔の日(8月1日)に、朝廷に献上されてきた竹籠です。
秋の虫をとってきて音を楽しんだり、軒先に吊るして目で楽しんだりしていました。
関連文書によれば、最低でも室町時代にまで遡る、非常に古い工芸品です。

明治維新による社会による混乱の中で作られなくなり、慣習もなくなり、今に至ります。

私は大学で文化財保存修復を専攻しており、その中でこの工芸品に関わりました。
最終的にその品は今、神社に奉納の上、宝物庫に入れて頂いています。

作り方と部品の一部だけが書物とともに残された状態からの復元研究でした。

竹工芸の職人さんからご教示をいただき、工場に毎日通い詰める毎日。
紆余曲折四苦八苦の末、完成したのが下の竹籠です。

本来の製作者は神社を構成する神職の家族。女性や子供であったと言われています。身分的にはともかく技術的にはいわゆる一般の人々。初歩的な竹の編組法を土台にしてあります。

ところがそこへ加えたアレンジがものすごい。とにかく薄く細く細かいのです。一般人とはいえ、生活に必要なもののほとんどを自分たちで作ってきた人たちの技術は今の我々一般人を凌駕していました。

細いところで幅0.1ミリ厚み0.2ミリという、髪の毛のような細い竹ひごで編まれた本体は、重さ3gと吹けば飛んでしまうほど軽く細かい仕様です。しかも編んでいる途中で竹ひごを二股に二度割きます。

こんな感じ。

この竹ひごの先がもう一回割けるわけです。
いわゆるプロの仕事ではありませんので、「〇〇編み」のように製法が確立されていません。ということは、職人さんにただ教えて頂けば良いわけではなく。

崩し字で書かれた江戸時代の文書を読み解き、それをさらに現代文に読み下す。
そこから技術的な考察をして実践に移す。

気の遠くなるような作業で、何度「これ完成できなくても卒業できるかなあ。」と学科の事務員さんたちに泣き付いたかわかりません。

神社の神職の皆さん、職人さん方、大学の教授、家族、友人。たくさんの方に支えられた研究・活動です。これまでもこれからも。

これからの目標としては、1年に1個製作し、慣習と同じ形での奉納を目指すことがひとつ。もうひとつは、まだ復元のできていない装飾部が別にあり、そちらの復元研究です。

あと、作れるのが少数では結局文化として残っていきませんので、今後は継承の形も模索していきたいと考えています。編み方のワークショップや何かしらの形での商品開発を長期的には考えていますが…ううむ…手腕…。

コロナもあるし、いろいろ手探りですが、にっちもさっちもいきそうにない感じは作っているときも似たようなものでした。きっとまた何とかできると思っています。

継承のスタートラインは「誰かに知ってもらうこと」です。
興味のある方、失われ「かけた」伝統工芸品に関わってみませんか。
よろしければお付き合いくださいませ。

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