外見は中身を入れる器でしかない
外見は中身を入れる器でしかなかった。
とある動画を見ていて、醜形恐怖の終止符が見えた。
年齢的なものもある。
30代になって
外見だけでチヤホヤされなくなってきて、
手厳しい言葉を言われる事もしばしば。
鏡を見ては
自分の粗探しをして
努力をし続けないと
老けてしまうのではないかという
強迫観念に駆られていた
綺麗を保つには
そういられる
環境に身を置かないと
お金も必要だし
でももう疲れた
美容やエステ
美容外科
予約をしたり
過度な運動やセルフケアに時間を費やす事にも
疲れてしまった。
どんなに頑張っても
付きまとう劣化のスピードは早い
お金も無くなっていく
体力も無くなっていく
そして内面も気づけば空っぽで
わがままで
自分の意見を押し付けてばかり
こうあるべきというこだわりや
思い込みも偏りが強くて
それにも気づいてこなかった
今まで外見ばかりに囚われ
磨き続けてきた事で
内面を磨く事をおろそかにしてきたからこそ
良好な人間関係を保てていない現実にも気づいたし
根底にある自尊心の低さ
外的要因である綺麗になることへの執着
そして綺麗だよ
かわいいよという言葉が欲しいがためだけの
過度な努力と男性関係
承認欲求に囚われ一喜一憂する感情
あるがままで唯一無二で
全ての命には価値があり美しいという絶対的な事を知ったのも最近である。
ここでずっと私を苦しめてきた
1つの価値観=思い込みが書き換える時が来たのかもしれない。
外見が全てではなく、綺麗になったり可愛くなったり完璧を求め続ける事で人に愛されるわけではない。
今思うとおかしな事だがずっとこの信念で
今まで生きてきたのだ。
愛されたい、見て欲しい、注目されたい
だから目立つように外見を綺麗にする
可愛くなる。
だが、中身を知られたら人はさっていく
低い自尊心から人を攻撃しだしたり
リセットしてしまったり
私が自分の外的要因にしか価値を感じられないから、他人や恋人選びでも外見やステータスに目がいく。
最近知った言葉でも、尊敬とは
自分にないものをもっていたり、出来ていることではなく。
あるがままを尊重し敬意をもつ気持ちらしい
唯一無二がで価値のある。
その人らしい魅力を認めていくような。
外的要因(外見、地位、名誉、時代により変化をする価値)により尊敬をするのをやめ
どんな事にも幸福に目を向ける器の広さや変化球から物事を考える力や解釈力
幸福の基準をコントロールできる人間力
ないものに目を向ける努力でなく
あるものに目を向けた生き方
命、脈拍、五感、家族や友達、パートナー、ペット
ご飯を食べれる事や消化できる身体
感謝をいつもしている人
そんなところが尊敬に値するものなのだろう。
まずは自分が自分を尊敬する。
できるように努力をすることなんてない、もう尊敬すべきものを持っている事に気づくだけなのだろう。