ideo 『長月− 1947年の多摩川、教会の室』
2024年9月27日に運営するレーベル CUCURUSS より新作の音楽作品がリリースされました。
ideo『長月- 1947年の多摩川、教会の室』
長月− 1947年の多摩川、教会の室
戦禍でも家は焼けなく少年は兄に手を引かれて歩いていた。太陽が南から周って来る頃に、路の右も左も光が南の空から落ちて来る頃に。トタンや木の板の燻んだ屋根と壁の背の低い建物が並んでいて、大きな通りに出ると川の方までずっと見渡せた。蜃気楼がたつような、三輪自動車のたてた土煙のカーテンの向こうまで、ジーとかミーンとか言う蝉たちの声を無視して汗に塗れた大人たちが通りを行き来していた。南瓜がゴロゴロと積まれ軋むリアカーを引く女の横を、二人の男が丸太から切り出した柱を肩に乗せて運んでいる。揺れる土の路面から顔を上げて、にいちゃんいつつく? と少年が訊ねる。兄は、すぐさ、と通りの奥を真っ直ぐに見据えて二人は歩いて行く。遠くの左側に池上本門寺の塔が見えて、いつか夜中に見た時は異様に巨大に見えて怖かったけれど、その軀体の近くまで来ると、少しだけ通りの奥から風が吹いて、音が消えて涼しかった。にいちゃんもなつやすみ? と少年が顔を向けて訊くと、今日はお休み、と兄は静かに言った。誘われるように横路に入ると少年は家と家との僅かな隙間に座り込む猫を見つける。あっと、兄から手を離してしゃがみ込む。猫は少年の挙動を無視して右手を顔の下にして寝込む。兄はその後ろ姿を見ながら写真機でもあればな、とひとりごちる。大して影のない路はひたすらに真っ直ぐに緩く下りながら続いていて、少しばかり暑かったけれど、たまに風が吹いて気分は良かった。路に面する商店から女主人が出てきて、金盥から通りに水を撒いた。帽子をかぶった背広姿のサラリーマンが立ち止まり、ハンケチを襟元に当てながら彼女に挨拶する。少年はズボンのポケットから反って所々表面が破れている花札を一枚取り出して、太陽に向かって掲げてみる。そんなもの持ってきたのかよ、と兄は少しばかり溜息混じりの微笑を浮かべる。少年は兄に顔を向けて、札をメンコのように地面に叩きつける。土埃が少しだけ舞う。おい行くぞ、と兄が言った。助手席の父は、この並木は凄いな、と少し感心するように呟いて車窓を眺めている。彼は赤が視えない。楓だろうか、初めて通り抜ける川崎の街道の両脇は閑静な住宅街で、よく見ると立派な門構えの地主や元農家の大きな邸宅がちょこちょことある。背の高い並木越しの陽射しが車内に斜めに入り込み、アップダウンに誘われるように軽快に車は走っていく。人の往来が次第に増していき、松屋やサイゼリアやドラッグストアがあるちょこまかとした駅前の細い路を抜けると、大通りに出る。車は大通りから左折して、橋に向かって走る。丁度橋を越えた頃に、我々は向こう側からやって来る兄弟と出会う。
※
教会の室に籠って音楽を作るのが夢だった。ステンドグラスを通して差し込む光。雪の日に蝋燭をたてて僕らは唄う。音楽は生者と死者たちへの祈りで、誰にも荒らされたり踏みつけられない不可視の波。瞬間の持続の淡いや空気を、何事にも遮られない領域で、他者との間に流れていく時間と空間を表してみたかった。もう誰にも邪魔されたくはない。音や光は決して復讐や執着の言葉の言いなりにはならない。
( Inspired by 『きみの色』)
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