湯川巴世里
ゆるい記事を集めました。まったりどうぞ。
生活、社会、教育など、おばさん目線で考えます。
読書感想文や、アートや音楽にまつわるお話
─これはオオイヌノフグリ、これはハコベ、これはホトケノザ。 まだ娘が小さい頃、散歩中に知っている花に出会うとその花の名前を娘に教えるようにしていました。 というのも、わたし自身が小さい頃、花や木や動物の名前が知りたい子どもだったからです。 自分がそうだったので、子どもはそういうものなのかと勝手に思っていたのですが、娘は花の名前には全く興味がなく、教えた花の名前は次の春になるとすっかり忘れられておりました。 そんな嘆きを男女のお子さんを持つお母さんに話したところ ─物の名
文春完売のツイートを見かけたけど、この辺りの発売は明日。買えるのだろうか。。電子版じゃなくて紙の本で欲しい。
外出の機会が減って、人と会うことも激減している今日この頃ですが、たまに知り合いと偶然出会うと挨拶代わりに新型ウィルスの話題が出たりします。 短い会話の最後にはため息混じりに ─もう何を信じたらいいのかわからないよね。 というのが決まり文句になっていて、わたしの周りの人々は動向を静観してる印象があります。 この情報過多の世の中で、どう情報と付き合うか、正解はありそうでないのかもしれません。 先週は特定のワイドショーを名指しでデマだと批判した厚労省が虚偽の情報を流すとい
水曜日、かなり遅ればせながら味噌を仕込みました。 例年なら2月中に仕込んだら優秀なほうで、3月になることもあったのですが、今年はこの暖かさなので、気分的には3月下旬くらいに仕込んだような気分です。 麹の入手が計画的でないとか、豆の煮方が少し足りなくて潰すのが大変とか、数々の小さな反省点はありますが、何となく心穏やかになるのが味噌作りの不思議なところ。 お味噌だけでなく、梅干しとか干し柿とか、出来栄えやトラブルが天候に左右されるものを作っていると妙に安堵するのは、自分も何や
別にとりわけ不安というわけではなくて、 心配しすぎてるという自覚もないから 「心配しすぎないで」という呼びかけには違和感。 大体不安なんてものは自分自身でコントロールできるものじゃない。とすると、それは不安を表明するなっていう意味なのかな。 わたしはただ、淡々と用心するだけ。
未だに忘れることのできない、ドラマのラストシーンがあります。 それは何のドラマで誰が出演していたかも覚えていない、40年以上昔、子どもの頃に見たドラマでした。 覚えているのは、主人公が女性で、何らかの事件を追っていたということ。サイコパス的な、でも天使みたいに可愛い少女がいて、その子が犯人。だけどそれを知るのは主人公と視聴者のみ。主人公がその子が犯人であることを訴えても誰も信じないのです。 で、その少女の策略によって真実を知る主人公が頭がおかしいことにされて最後には精神
楽天が3980円以上を送料無料にする件、「無料」という言葉が問題になったから送料無料の文言を送料込に改めたそう。でも予定通り実行するそうです。 この件は中小の楽天出店者にとっては死活問題で、既に退店も相次いでおります。 わたしは最近までEC関係の仕事をしていたので、この件は本当に小売店がお気の毒で仕方ありません。言いたいことが言えないお店の代わりに書いてみます。 まあ消費者的には自分が買うときに一番安いところを選ぶだけですから、そんなに大ごとじゃないと思いますよね。でも
─「にせもの」に囲まれて生きてきたような気がする。 と、思いはじめたのはいつの頃だったのか、 裕福ではない家に暮らしていても、高度経済成長期に生まれて青春時代はバブル期だったので、一億総中流の気分で育ちました。 中学生の時に県内にTDLができて、友だちにそこは「夢の国」なんだって教えてもらいました。 でも、わたしにとってパーク内の建物はどんなに綺麗でもどこか作りもので、行ったこともないヨーロッパの街並みを想像すると何となく軽薄で、シンデレラ城はお城というよりは巨大なオブジ
新型コロナウィルスがCOVID-19(コビッド-19)と命名されたようです。早く収束しますように。そして花粉のピークまでにお気に入りメーカーのマスクが復活しますように。
そろそろ新型コロナウィルスに名前付かないのかな。SARSとかMARSみたいな。。長くて呼び難いし省略もしにくいのよね。
初詣で引いたおみくじは「小吉」でした。 ここ数年「大吉」には、とんと縁がなくて、 「吉」や「末吉」が常連さん。 数年前には人生初の「凶」を引いたけど、その時は娘が「大吉」で、「娘が幸せならまあいいか。」と自分に云い聞かせた記憶があります。 どうもくじ運はあんまりいい方じゃない気がする。 今年なんて、お年玉年賀はがきの切手シートすらゲットできませんでした。 「小吉」は、わたしみたいに地味な印象がします。 が、よくよく読んでみると、そんなに悪くない内容です。実は小吉って吉
先日読み終えた本をご紹介。 鷲田清一 著 濃霧の中の方向感覚 臨床哲学者である著者が2014年から2018年に発表した文章を集めて、一冊にまとめたものです。 臨床哲学なんて耳慣れない言葉に怯んで難解なのかと思いきや、哲学にゆかりのないわたしみたいな人にも大変読みやすく書かれていて、思索の道先案内となるような一冊です。 https://www.amazon.co.jp/濃霧の中の方向感覚-鷲田清一/dp/4794970668 とても気持ち良く読みました、と云ったら何だか
結婚して初めて住んだ家は、わたしの実家から徒歩5分ほどのメゾネットのアパートでした。 もともと住んでいた街なら大きく生活を変えずに済むし、土地勘があるし、何より家賃が安いし、という理由で都内の職場まで1時間半もかかるその街に住むことにしたのです。 お互いに実家暮らしだったわたしたちは、暮らしていくために必要なものを何ひとつ持っていなくて、家電から爪切りに至るまでひととおり揃えるだけでも大ごとでしたが、それも良い思い出です。 お互いに仕事が忙しくて、自宅滞在時間は短く、た
─さて、何をあなたに云おうと思ったのかなぁ・・ 大恋愛モノというような小説はあまり好まないのですが、別の主題を持つ小説の中の恋愛模様が大好物なわたしです。 例えばツルゲーネフの「父と子」は世代間のギャップであるとか、その時代の思想をテーマにしているのですが、わたしはこの作品を恋愛小説のように読んでしまいます。 主人公のバザーロフは、ニヒリストで可愛くないインテリで、不器用ものです。相手に対して不器用というよりむしろ、自分の中で 恋愛というロマンチックな感情が信条と矛盾し