話半分
外出の機会が減って、人と会うことも激減している今日この頃ですが、たまに知り合いと偶然出会うと挨拶代わりに新型ウィルスの話題が出たりします。
短い会話の最後にはため息混じりに
─もう何を信じたらいいのかわからないよね。
というのが決まり文句になっていて、わたしの周りの人々は動向を静観してる印象があります。
この情報過多の世の中で、どう情報と付き合うか、正解はありそうでないのかもしれません。
先週は特定のワイドショーを名指しでデマだと批判した厚労省が虚偽の情報を流すという出来事がありました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200306-00010004-wordleaf-soci
情報リテラシーなどを語るときに、官公庁の情報を確認しましょうなんて話を聞きますが、官公庁も信用なりません。
311の頃から、わたしはどの情報も基本的には話半分に受け止めることにしています。
話半分だと騙されたときのショックも少ないですし、正義を振りかざすという言動を防ぐこともできます。何が正解がわからない世の中で、正義なんて何処にもないのですから。
危険を煽られても話半分だし、安心を解かれても話半分。統計も疑っているので話半分です。
ひとつあるとすれば、「断言する人には注意する」とか「誰かをデマ呼ばわりする人には注意する」ということくらい。これは、以前こちらのnoteに書きました。
https://note.com/yukawapaseri/n/n819097709093
ただ、どの情報も話半分に聞くのは、何も信用しないということですから、非常に不安定な状態に身を置くことでもあります。
正直疲れます。
何か信用できるものを見つけたら、何も考えなくて済むのに、思考し続けることを選ぶのはなかなか難儀なことです。
とはいえ、信用できるものがなければ仕方ないわけで、疑い深い自分の業だと受け入れるしかありません。
注意してるのは、自分より慎重に対策している人に対する牽制みたいな呼びかけ。
─ウィルスよりも人の不安や恐怖の方が怖い
と、人の心が狭くなっていることを云っているようでいて、実は市井の人の自分たちの権利を求める声に「政治的なことを語るな」と黙らせるような発言です。
そういう発言をする人たちの多くは、実に巧妙に市井の人を思考停止にいざなうので、話半分というより意識して通り過ぎるようにしています。
そうはいっても、わたしも大したことはできません。今のところ自分と家族のためにできることは、睡眠不足にならないように、栄養が偏らないように気をつけるくらい。よく手を洗うなど、子どもの受験の時の体調管理と変わらない感じです。
経済の疲弊は避けられないと思うのですが、だから感染リスクを顧みない経済活動を、という呼びかけには個人的には違和感を持っています。
経済的なことであれば、本来政治でどうにかなるのではないか。例えば軍事費を縮小して、その分を困ってる人に直接分配してくれたら、社会不安はかなり落ち着くと思うのですが。
残念ながらそういう対応が期待できるような国でなさそうだなというところが、一番の不安の種かもしれません。
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