大阪歴史散歩①~大阪歴史博物館、難波宮跡、四天王寺
前回、大阪府の古市古墳群を周ったときのことを書いた。今回は、その古市古墳群訪問の前日に、大阪市で歴史散歩をしたときのことを書いてみたい。お付き合いいただければ、うれしいです。
当初、大阪市で、どうしても行きたかったのは、大阪歴史博物館と難波宮跡と四天王寺であった。それで、まず大阪歴史博物館に向かった。
大阪歴史博物館は、NHK大阪放送局と隣接する博物館で、最上階の10階から展示が始まって、どんどん下の階に下りながら(7階まで)展示を見るようになっているのだが、最上階は古代の展示で、階を下るごとに、展示物の時代が下っていくようになっていた。この博物館訪問の一番の目的は、10階の古代の展示であった。
10階の展示によると、百舌鳥や古市に巨大な前方後円墳が作られた5世紀は、東アジア情勢が落ち着かない時期だったようで↓
古代の難波は、東アジア世界に向けた交通の拠点だったそう。また、この難波には難波宮が営まれていて、大阪歴史博物館のふもとでは、飛鳥~奈良時代の前期難波宮(=難波長柄豊碕宮、650年~)と後期難波宮(726年~)の遺構が発見されていて、その遺構が現在は難波宮跡公園となっているようだ。歴史博物館の窓からその公園の様子を見ることができた。↓
ちなみに、下に降りて、後期難波宮を示す基壇をみるとこんな感じ。↓
正直、難波宮跡公園は、行ってみると、それほど楽しくはなかったのだが、博物館で行われている難波宮の遺跡見学ガイド(学芸員の方の解説あり)に参加したら、もっと楽しめたに違いない。難波宮にご興味がある方には、遺跡見学ガイドの時間に合わせて、博物館を見学し、ガイドに参加されることをおすすめしたい。また今後、この公園の整備も進んでいくようなので↓、この辺りの様子も様変わりしていきそうだ。
さて歴史博物館の話に戻ろう。歴史博物館の10階では、後期難波宮の世界が再現されていた。
古代の難波では、海が今よりもっと近く、上町台地には難波宮や、国家的寺院だった四天王寺が建てられていたようだ。古代の難波津からは、堂々とした四天王寺の姿などが目に飛び込んできたのだろう。
大阪歴史博物館には、こうした古代の展示以外にも、江戸時代の大阪商人の繁栄ぶりがわかる9階の展示や、近現代の生活を再現した懐かしい感じのする7階の展示もあって、それらも楽しめた。
さて、歴史博物館の見学を終えて、急遽、大阪城にも行くことにしたのだが、そのことは次回書くことにして、とりあえず、今回は、古代から難波宮と同じく上町台地にそびえていたという四天王寺のことを紹介したい。四天王寺へは、谷町6丁目から地下鉄で向かったが、すぐ着いた(四天王寺前夕陽ヶ丘駅下車)。
四天王寺は、推古天皇時代に建立され、日本仏法最初の官寺という由緒あるお寺だが、たびたび消失したりしていて、現在の建物は昭和時代のものだという。といっても、創建当時(飛鳥時代)の様式を忠実に再現しているらしい。学校で習った、中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並んだ6~7世紀の大陸の様式を伝える四天王寺式伽藍とは、まさにここのことで、全部を一枚の写真に収めたかったが、それはできなかったので、とりあえず金堂と五重塔の写真をupしておく。↓
中心伽藍の外にも色んな建物があったのだが、印象に残ったのは、六時礼讃堂とその前にある石舞台である。どちらも江戸時代のもので、重要文化財になっていて、四天王寺の中では古さを感じさせる建物であった。
大きくて有名な神社仏閣は、観光地化している場所もあるけれども、四天王寺は、観光の場所というより、地元のひとたちの信仰と憩いの場という感じがした。
以上、大阪の古代史において大切な存在である難波宮跡や四天王寺を、実際に自分の足で訪問できて、満足した。ただ大阪の古代史については、結局まだまだわからないことが多いので、今後も注目していきたい。
次回は、大阪城天守閣や中之島図書館に行ったときのことを書こうと思う。引き続きお付き合いいただければ有難いです。
参考資料
①大阪歴史博物館HP
②四天王寺HP
③大阪公式観光情報HP
(標題は、大阪歴史博物館内に再現された後期難波宮の一部)