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陶磁器38:日本の焼き物(長崎県:三川内焼)
おはようございます。
今日は雨、とかいう前にしっかり寒い。ふだん新鮮な空気の中で寝たいので窓を開けて網戸で寝ているけれど、そろそろ閉め期なのかもしれない。
さて、日本各地の焼き物の名産地をピックアップしたところで、具体的に1つずつ見ていこう。
29回目の今日は、長崎県の三川内焼。
三川内焼(磁器)
三川内焼(みかわちやき)は、長崎県佐世保市周辺で作られている磁器。
呉須という顔料を使った、白磁への青い染付けが特徴的で、シンプルながらも目を惹く鮮やかな青を使った三川内焼は、長い間高級品として位置づけられてきた。
三川内焼でよく用いられる絵柄が唐子絵。柔らかく丸みを帯びた筆さばきが、どこか温かみを感じさせる。もともと中国の明から派生したもので唐子絵は男児を表現していることから、繁栄や幸福の意味がこもった縁起物として描かれ始めた。明治以降においては、個性的な唐子絵もよく描かれる様になった。
三川内焼の特徴は、透かし彫りや手捻りといった技法を用いた、繊細で躍動感のある造り。また、白色磁胎に透明釉をかける仕上げも有名で、滑らかでキメ細かい白磁に描かれる青い染付は、まるで美しい空や海を思わせるような雰囲気。ひとつひとつ手作業で丁寧に細工を施された焼き物は、食器などの日用品としてだけでなく花瓶や置物など贈り物用としても親しまれている。
歴史
三川内焼は、1592年(天正20年)と1597年(慶長2年)ごろに行われた、豊臣秀吉による朝鮮出兵がルーツとの説が有力。一説によると、当時佐世保市周辺を治めていた平戸藩の領主であった松浦鎮信が朝鮮の陶工であった巨関(こせき)ら100名ほどを連れ帰り、窯を開かせたとされている。日本に伝わった当初は、主に陶器が作られていましたが、1640年(寛永17年)頃、巨関の子である今村三之丞の白磁鉱の発見により、徐々に現在の白磁へと姿を変えていく。
1650年(慶安3年)ごろになると、御用窯の体制が確立され、平戸藩自体が三川内焼の庇護を積極的に行っていった。そして、江戸幕府への献上品としても納められるようになり、さらに17世紀後半には中国やヨーロッパなどの海外にも輸出されるほど、国内外から注目を集めた磁器となった。
庶民の生活とは一線を画した三川内焼でしたが、明治以降は庶民にも行き渡り、広く愛されるようになる。
日本だけでなく世界各国で愛されている三川内焼は、1978年2月6日に経済産業省指定の伝統的工芸品に、2016年に日本磁器のふるさと肥前の構成文化財として、日本遺産に登録された。
地理
三川内焼が焼かれる長崎県佐世保市三川内町は、東に山を隔てて波佐見町、北の尾根を抜ければ佐賀県の有田町があるという立地で、美濃焼や瀬戸焼有する中部エリアと並ぶいわゆる日本の陶磁器の主要エリアの一部を成している。
三川内焼は別名平戸焼とも呼ばれる。長崎県には焼き物には欠かせない陶石や燃料になる木材など、豊かな自然がたくさんあるため質の高い陶磁器が多く作られている。
他の近隣の作陶地と違ってかなり山奥の狭い地域で作られているのは、朝鮮の陶工その数100人を連れてきた際にその区域内で囲っておきたかったからではないかと勘繰ってしまう。
佐世保湾と大村湾をつなぐ早岐瀬戸に注ぐ小森川の支流が流れるこの一体には下の原貯水池を始めとした池が多いのも特徴。
作り方
砕石 三川内焼では、熊本県天草で採れる天草陶石を使用する。この天草陶石が白さのもととなっている。原石は、専用の機械を用いて粉状になるまで一日かけて細かく砕いていく。
沈殿 砕石したものでも大きさは異なり、中には磁器にするのには大きすぎる粒もあるため、粒の大きさを分ける必要がある。そこで、水の中では粒の大きいものほど先に沈む性質を利用して、砕石したものを水槽に沈め、ろ過装置フィルタープレスで粒の細かいものだけを集めていく。さらに、集めた細かい粒は真空ドレイン機という機械にかけてしっかりと空気を抜き、粘土状にしていく。
成形 沈殿によってできた粘土は、ろくろや手などを使って成形していく。成形は焼き物の形を決定づける重要な工程。さらに、成形の段階で置物などに仕上げていく場合は、様々な技法を使って形をつくっていく。中でも穴を開けてくり抜いていく透かし彫り、動物や植物を表現するために細かな細工を施す手捻り、別の素地に細工したものをつけていく貼り付けは、三川内焼でよく使われる技法。
乾燥 成形された陶土は、日の光によってしっかりと乾燥させ、表面の粗い部分を削ってなめらかにしていく。このひと手間加えることで、より美しい三川内焼へと仕上がっていく。
素焼き 天日によって乾かしたら、本焼きに入る前に900度の高温で7時間ほど素焼きを行う。これにより、この後の工程である絵付けを行いやすくする。
下絵つけ、濃(だみ) 素焼きの後の陶器は、綺麗だとは限らない。表面にごみがついていると、絵の具にごみが混ざり、作品が台無しになってしまう恐れがあるため、下絵を行う前にしっかりと乾拭きしてごみを落とし、下準備を整える。
この下絵つけの段階で使用されるのが顔料の呉須。筆を使って丁寧に絵を描いていく。呉須は下絵の段階では灰色のような暗い色をしているが、焼きあがると鮮やかな青になるなんとも不思議な染料。さらに、下絵付けが終わると色の濃淡を表現するために太い筆を使って濃(だみ)をつけていく。施釉 下絵を施した後は釉薬という薬を全体にかけていく。この釉薬を施すことによって、ガラスのような透明感がうまれ、強度もしっかり生まれる。
本焼成 しっかりと全体に釉薬を施したら、素焼きのときよりも高温の1300度ほどで15~20時間焼いていく。特にこの本焼成といわれる本焼きの後がポイントで、高温の場所からいきなり常温にしてしまうとひびが入ってしまうため、時間をかけてゆっくりと冷まして窯から出していく。
上絵つけ 呉須を使った鮮やかな青が特徴の三川内焼では、本焼成のあと検品して、そのまま出荷されることも多い。しかし、さらに色をのせる時は上絵つけといって、本焼成の後に赤など他の色で色付けしていく。上絵つけの後は本焼成で一度しっかりと焼いているため、750度程度の温度で7時間ほど焼いて色を定着させる。
*上記の情報は以下のリンクからまとめています。
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一歩一歩、着実に歩もう。
皆様も、良い一日を。