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陶磁器18:日本の焼き物(愛知県:赤津焼)

おはようございます。
今日も朝から快晴で風は乾いていて日差しと相まってとても爽やかな朝。今日は東京の最高気温が30度を超えないらしくいよいよ本格的な秋を感じさせる。(とはいえ暑さのぶり返しはあるんだろうけど。)

さて、日本各地の焼き物の名産地をピックアップしたところで、具体的に1つずつ見ていこう。
8回目の今日は、愛知県の赤津焼。

赤津焼(陶器)

赤津焼は愛知県瀬戸市の東部にある赤津町周辺で作られている陶器。
瀬戸焼はこの赤津焼と瀬戸染付焼とに分けられ、赤津焼は7種類の釉薬と12種類の多様な装飾を駆使した技法が特徴。(一方の瀬戸染付焼は白い素地に青く発色するコバルト顔料での絵付けが特徴で詳しくは明日見ていこう。)瀬戸焼が日本六古窯の1つに数えられるが、正確に言うと平安時代から鎌倉時代にかけて始まった代表的な窯にあたる、赤津焼がそれに当たる。
赤津焼の特徴は赤津焼が日本六古窯の中でも、最初に釉のかかった本格的な技法を始めたということ。伝統工芸品である釉薬は、平安時代に灰釉からはじまり、鎌倉時代には鉄釉、古瀬戸釉などが出現して江戸時代初期には7種類が釉薬の技法として確立した。また同時に、型押しで模様をつける印花、波形や点線、渦巻きの模様を描く櫛目などの12種類の装飾技術も発展を遂げ、現在もなお一千年を超える赤津焼の伝統が続いている。
また、中国の青磁や白磁のような白く美しい素地も特徴のひとつ。それは丘陵地帯の瀬戸層群と呼ばれる地層から採れる、木節粘土(きぶしねんど)と蛙目粘土(がえろめねんど)のお陰。これらの良質な粘度は耐火性が高く、柔らかく成形しやすいという特性に加え、鉄分がほぼ含まれないことから白く美しい陶器ができた。
美術工芸品、茶道具・花器などから一般食卓用品にいたるまで高品質な手作りの陶器として日本で浸透している。

歴史

赤津焼の起源は奈良時代(700年頃)に存在した須恵器からだと伝えられる。古墳時代に瀬戸の猿投(さるな)山山麓から始まった赤津焼は、平安時代以降日本最古である灰釉という釉薬の出現や、張り付け・浮き彫り等の多彩な技法に磨きがかかり、日本六古窯の一つに数えられるようになりました。
桃山時代に入り黄瀬戸、志野、織部の釉薬の出現により、当時茶華道が発達していたこともあり茶陶を中心に重宝されるようになりました。優雅な桃山時代を思わせる鉄絵の装飾は、今もなお赤津焼の代表作品として作られている。江戸時代に入ると名古屋城を中心とした尾張藩の御用窯として、赤津焼は多くの高級茶器から日常的に使われる食器などを作ることになった。
伝統を受け継ぐ窯は現在瀬戸市に60余り存在し、日本の窯業の一大中心地にまで発展した。

地理

愛知県の瀬戸市を中心とした東濃地方で作られている瀬戸焼の中で、特に山間深い赤津町に位置し一山北に抜ければ、美濃焼を生み出す岐阜県・東濃地域(多治見市・土岐市・瑞浪市・可児市)がすぐに控えるような、THE焼き物エリア。名古屋市から見ると真東からちょっと北に登ったくらいの右上に位置する。
また、この地域には赤津川(瀬戸川と合流して一流河川の矢田川になる)が流れている。

作り方

  1. 陶土調合 まずは土づくり。本山木節粘土、本山蛙目粘土、赤津山土など瀬戸産の土が用いられる。掘ってきた土や石を砕いてふるいにかけ、水に浸す。上に溜まった細かい土を分別できたら、ムロという薄暗い保管庫でしばらく寝かせる。寝かせておいた土を足や手で押し土の中に溜まっている空気を出し、捻るようにして土を丹念に練りこんでいく。

  2. 成形 主な成形方法は3種類に分かれる。
    ・ろくろ成形
    回転台の上に粘土を置いて、器の形にしていく方法で、手や足を使って回すろくろや電動ろくろがある。
    ・たたら成形
    板の上にスライスした土を重ねていき形を作っていく。箱状の器、四角い皿を作る時などに用いられる工法になる。
    ・手びねり
    最終的に道具を使わずに、直接手で形作る方法の総称を手びねりという。ろくろで基礎となる形を作ってから手で形を整える手法や、土をひも状にしてとぐろを巻くように形を作っていく手法などがある。

  3. 素地加飾(しらじかしょく) 形が出来上がったら、急須の注ぎ口や茶碗の高台を作り作品を仕上げていく。細かい部品を付け加えたら装飾。赤津焼に用いられる装飾技法は、へら目、たたき、削り目、へら彫り、そぎ、布目、透彫り、三島手、印花、櫛目、浮かし彫り、張り付けの12技法。櫛や網など豊富な道具を使って、華やかな文様を描いていく。

  4. 下絵つけ 釉薬をかける前に下絵が施す。顔料には赤絵や呉須、黄土などが使われ、素地に直接筆で描いていく。

  5. 施釉 伝統工芸品の赤津焼は7種類の釉薬に大きく分類される。
    ・灰釉
    平安貴族の食器にも使われていた灰釉。窯の灰が表面について溶けたもので、自然釉とも呼ばれる。
    ・鉄釉
    鎌倉時代より水打粘土と鬼板粘土を使用した鉄釉が焼成される。鎌倉時代には印花や貼花などの様々な装飾技法も発達した。
    ・織部
    現代は織部というと一般的には青織部のことを指すが、桃山時代には瀬戸黒、黒織部、織部黒も含まれていた。黒織部は鉄釉に、絵織部は灰釉に分類される。
    ・黄瀬戸
    鉄釉の一種ですが、鉄分の含有率が10%程で黄色に発色したもの。茶道具として使用されるほか、皿や鉢等にも使われています。
    ・志野
    桃山時代に長石だけを釉薬として使用したもので、鉄分の含有率が少ない赤津の長石では白色に発色する。そのため通称「白志野」と呼ばれる。
    ・御深井(おふけ)
    中国から伝来した「安南呉須絵」を絵付けしたものを、還元焼成したもの。平安時代前期に出現した灰釉の一種。
    ・古瀬戸
    古瀬戸は有名な茶入れをはじめ、主に茶道具として使われてきた。鉄釉の一種で黒色と一部茶褐色が混じった部分がある釉薬。

  6. 焼成 はじめは低温で、徐々に温度を1170~1250度まで上げていく。焼成時間は24~30時間をかける。

  7. 栃渋入れ 織部の場合、焼き上がったものをどんぐりの渋を溶かした液体の中に約一日漬けます。釉薬のひびに渋を染み込ませることで、表面の酸化洞を除く。



*上記の情報は以下のリンクからまとめています。



僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。



皆様も、良い一日を。

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