2025年の始まり

こんばんは。
年越し年始は、2006年に一人暮らしを始めて以来初めて実家で過ごしました。

今までは例年大晦日は家で過ごして元旦に両親・兄弟2家族が我が家に集まるのが恒例だった。ところが今年は兄家族が旅行に行くことになったこともあり、両親とすぐ横に住んでいる弟家族のところで年越しをすることに。こうした時に実家が『大晦日に用事もないなら年越しウチに来たら?』と声をかけられたので、今後こんな機会どれだけあるかもわからないのでお邪魔した、という経緯だ。

都内に住んでいて川崎に住んでいる実家に帰ることは別になんてことはなく、普段から数ヶ月に1度は週末にランチをするので会うこと自体は特別というわけでもないけれど、丸々一日一緒にいるとまた話は違う訳で。
なんとなく慣れてきた時に母親の父親への不満が爆発して、それに巻き込まれて親子喧嘩も併発。それでも新年からそのままにしておきたくないし、自分がいなくなった時に両親が二人で不毛な苛立ちに苛まれるのも嫌なので、主観同士では絶対に受け入れられないであろう状況とどうしたら良さそうか客観的にフィードバック。母親は完璧を求めて自分で全てやろうとし過ぎず、人に委ねて後は諦める位もっと気楽に捉えるようにしないと自分が疲弊してしまうこと。親父は自分勝手で無駄なこだわりがあるのでそもそも気遣いができていないことを自覚して、少なくとも母親に言われたことをひねりを咥えずに言われたままサポートすること。
感情的になってしまうと誰も得をしないどころか家族だからこそ言葉がきつくなり不必要に相手を蔑んでしまったりということがあるから、適度な距離感を今更でも少しずつ上手くバランスを取れる様にしてもらいたいと、心底思う。そして、自分もその中でバランスを取れるように。

弟家族と合流してからは、自己が目覚め始めた姪甥たち(6, 4, 2歳)と接していてもこれまた違うニュアンスの(自己欲求と理性の)コミュニケーションが求められる訳で。彼らに何かをやりすぎたりやらなかったりした時どうポジティブに伝えるか、という言葉選びが一つ一つ問われる感覚がとても頭を使うね、という感覚で、お雑煮からおせちを食べてお腹がいっぱいになった昼下がりは彼女たちをほったらかしてまんまと伯父さんは昼寝をしてしまう。
その後3人とも大好きなトイ・ストーリーを初めて観て、そのストーリーのレベルの高さに感銘と感動を受けつつ、晩ごはんまで一緒に食べて自宅に帰宅。

年明けに初めて帰る自分の家は、当たり前の様に自分を迎えてくれてやっぱり落ち着く。今年もよろしくね。

2025年は元旦に大きな災害や事故がなかっただけでホッとするような、そして自分としてもよりよい1年になりそうな期待がある年。そのなんとなく良い予感を常に心に抱きつつ今年もあと364日楽しんで行きたい。



僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、良い年始を。

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