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陶磁器10:日本の焼き物(福島県:会津本郷焼)
おはようございます。
今日は雲が広く空を覆ってこぼれ落ちてくる陽はおだやかな曇り空といった朝。涼しくて過ごしやすい。
さて、昨日日本各地の焼き物のそれぞれ特徴を見てきたところで、早速今日から具体的に1つずつ見ていきたい。
初回の今日は、福島県の会津本郷焼から、さっそく見ていこう。
会津本郷焼(陶器・磁器)
会津本郷焼は約400年の歴史を誇る福島県会津の伝統工芸品。
会津本郷焼には陶器と磁器の両方があり、磁器や陶器のそれぞれに特化した窯元、両方を製造している窯元もある。
戦国時代を起源とするこの焼物は、江戸時代の初期には会津藩の藩主により保護・育成されたが、その後奉行所の解散によりそれぞれの窯元が自由に製造を開始。そのため、各々の窯元から独自のスタイルで作品が作られている。
会津本郷焼の特徴は、磁器に呉須という青色の絵の具を使った染付や、その他日本古来の絵の具はもちろん、西洋の絵の具を使った多色の色絵等様々な種類があること。
陶器は実用的なものが多く作られ、伝統的な釉薬が使われていて青磁、白磁、炭化など様々なスタイルがあり、光沢の有無や手触りなども多種多様。
歴史
会津本郷焼の起源は戦国時代に遡り、1593年(文禄2年)武将蒲生氏郷が会津藩主となり、現鶴ヶ城の改築の際に瓦を焼かせたことから焼物作りが始まったと言われる。その後、江戸時代初期には会津松平藩祖、保科正之が瀬戸焼で有名な尾張から陶工を呼び寄せて本格的な製造が開始された。
藩の支援を受けて陶磁器の生産は発展するも、産業は2度の厳しい時代を迎える。一つ目は戊辰戦争の時代、陶工が出陣し製陶工場は戦火で灼かれ、一時は産業が成り立たない状況に追いやられる。その後全村一丸となった活動の末、明治中期には欧米各国へと製品を輸出させるまでに復興を遂げた。
また、1916年(大正5年)には大火でまたしても製陶工場の大半を焼失して窮地に陥るも見事に再興を果たした。
こうして会津本郷焼は激動の時代を乗り越え、長い伝統を絶やすことなく技術を継承し、素朴な美しさと使い勝手の良い陶磁器としてその名を広く知られることとなった。
地理
現在会津と呼ばれる地名はなく、現在では会津若松を中心に福島県西部に広く広がる元会津藩の領土だったエリアに広く会津の名がつく地名が広がっている。山形新幹線が通る郡山の北西に位置し、本州の背骨に当たるど真ん中あたり、猪苗代湖と阿賀川と水場が近くにある。以前にFat lavaで有名な産地はすぐ川があったけれども、ここでもそれは同じようだ。
川の東側に鶴ヶ城や武家屋敷跡が今も残りこちらがアップタウン、そして川を渡った西側が会津本郷だったり農地が広がっているので士農工商の農工が暮らしていたものと思われる。
作り方
野ざらし 材料の土は制作の前に一年以上風や雨に晒す。
土練 野ざらしにした土をくだき、ふるいにかけた後、水を加えて練り上げます。
ろくろ成形 ろくろを使って希望する形状に成形。ろくろを回転させながら土を延ばし、形を整えながら上部に押しあげ、ろくろを止めてなめし皮にてふちまわりを滑らかにする。
乾燥 成形した製品を自然乾燥と加熱乾燥の二つの方法で乾燥させる。製品に絵を書き入れる場合には完成した製品に直接下絵を施す場合と素焼き後に行う方法がある。
焼成 窯の中でそれぞれの用法に合わせた時間で焼き上げる。
窯出し 焼き上がった製品は冷めて割れることを防ぐため、窯の中でじっくりと時間をかけて冷まし、完全に冷めた状態で窯から出す。
検査 焼き上がった製品は不良品がないか最終確認を行う。
*上記の情報は以下のリンクからまとめています。
僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。
皆様も、良い週末を。