山に身を置くということ
はぁい、ゆかりです🙋♀️
瀬織津姫を何代も祀る自然と人を繋ぐ『羽黒山伏』の星野先達。
共に山を歩き、勤行をするという修験道リトリートを体験しました。
山伏ってなに?なんかの宗教儀式?修行でしょ?
言語化が難しい事柄をあえて、体験したからこその私の感覚で言葉にしてみます。
【日常と非日常のあわい(間)を生きる】
星野先達との出会いは、自律分散型コミュニティ(DAO)である
『Wisdom Commons Lab』からことを発していて。
オンラインで出会った私史上初めての「山伏」というお方。
「なんか知らんけど会ってみたい!」という感覚が湧き上がり。
立春のイベント「魂のまにまに」でリアルのエネルギー感を体験。
「またともに過ごさせていただきたい。」と、なんていうのかな。
共に在るだけで、なんだか「整う」「調う」感じがするのです。
女性的な柔らかい感性や、人とのふれあいも大切になさっていて精力的に世界中を周るほどにファンがたくさんおられる先達。
ですが、厳しい修行を行う修験者でもあります。
その一見相反する性質を、矛盾なくご自身の内側で共存させておられるその「自然(じねん)」的な在り方に、魅了されたのです、多分。
日常の中で、非日常で在る修行での祈りを実践する。
聖と俗の両方で、生きる。
ご結婚もされていて宿坊を営まれている先達は確定申告もするし、毎日SNSにご自身の体験からの気づきを投稿されています。
【山伏ってなんぞや】
先達のお言葉を拝借します。
山の中で人が獣(犬)になること。
自然と人、人と人、地域と人をつなぐ、修行をしながら。
毎日世のため人のために祈る人でもあります。
頭の中に外から持ってきた知識や情報を詰め込むのではなく、山に身を起き、自然の中で我が身を通して感じたことを哲学して気づいていく、という生き方在り方が、ネット社会に生きる現代人が失った本来の感覚、それすなわち「野生性」の感覚。
先達の言葉は、他所から持ってきたものではなく、ご自身が修行の中で気づかれた悟りのことのは。
重みがあり、同時に軽やかでもあり、いつも不思議に奥の奥まで染み渡るような、そんな感じです。
【私の修行体験】
で。
私の体験は、「うけたもう」を腑に落としていく体験。
修行中は、無言。
勤行という祈りの際には、祝詞や般若心経やあやに歌を発することができます。
そして先達のお言葉に対して返事する唯一の言葉は「うけたもう」。
意味がわからなくても、質問したくても「うけたもう」のみ発することができます。
普段言葉の中で生活しているといろんな思いが湧いてきています。
「ちゃんと聞かなきゃ」「なんかいいこと言わなきゃ」と、言葉にまつわる思考にとらわれているということに気付かされます。
言葉がなくとも、修行者のみんなのエネルギーを感じ、自然の中での鳥の声、植物が風に揺れる音、土や岩を踏む音を感じられます。
そのなんと豊かなことか、と身体の奥から歓喜の声が響いてくるほどに。
あぁ、私たちはただここにいて。
起きるべくことがただ単に起きていることに、あれこれ解釈をつけて悩んでいる。
でも、ただただここに繋いでいただいたイノチを存在させる身体とそれを味わう感性をただ持って、ここに在る。
ただの私が、ただここに在るだけで、尊いイノチ、それがすべて。
という感じが内側で感じ、私のすみずみまで廻り、イノチ震えて歓喜していたのです。
それは、大きな感動や衝動というよりも、じっくりと静かで穏やかであたたかい、そんな感じなの。
本来は、この位置が自分の「真ん中」なんだな、って。
ずっとそんな風に思いたかった、そんな自分でいいと許したかった、ゆるみたかった、と同時に気づいたのです。
何者かになろう、役に立つ人間であろう、と力が入って生きてきたんだな、って。
私もこの、魂のままの「ただの私」で在って、それでいいんだ、って。
あ、言葉を否定しているわけではないです。
私たちが意思疎通を図るツールとして言葉を活用していくということは、名前をつけることや定義することにおいても、とっても大切です。
私は言葉の世界も本とか文章も大好きなんですよ。
【直会と魂振り】
修業だけでなく。
先達とのひととき楽しみなこと、ふたつ。
まず「直会」。
修業後に、修行者たちで食べ物を囲み、語り合いながらの食事。
特別なお食事です。
五臓六腑に染み渡るお野菜中心で繊細な味付け。
身も心も喜ぶ。
食事とは本来は「イノチを頂く」神聖なこと。
今は西洋の習慣化で「会食」のような人と交流すること、会話の時間という感じが浸透しているものの、日本人の「いただきます」を「自分のイノチのために他のイノチをいただきます」というようなほぼ儀式のような祈りの好意であったんだな、って。
とはいえ、無言の修行の後、みんなと囲む食事での会話はとても深く。
そしてここで初めて自己紹介があり、普段何をしているどんな人なのかを、言葉として認識する時間でもあるのです。
ここも面白いところで、他では体験しにくいですよね。
大抵のイベントやセミナーなどって、まず自己紹介とか、するもんね。
それから、日を改めて実施されたんだけども。
「魂振り」という身体に触れるようなワークというか施術というか、なんだろう。
先達のお言葉を拝借しつつも自分なりに表現。
魂とは、人の「水」のこと、それは「血」である。
魂をマッサージすることによって、その人本来の輝きを取り戻す、それ即ち「元氣」になる。
先達の手のタッチは本当に本当に繊細で。
これまでのどんなボディセラピーやボディワークとも、違う。
立春のイベントでも体験して、この時に参加者もワークするのだけど。
相手の方に「先達のタッチと物凄く近い」と言われて、疑い。
今回も先達から「お前のはオレのに、近い」と言われて疑い。
今回の相手さんにも、先達と同時に触れて「どっちがどっちかわからない」と言われて、やっぱり疑い。
先達に「ほら、どっちかわからないってことは、そうゆうことだろ。」と声をかけられて、ハッとする。
「うけたもう」していなかった。
私なんかが、ちょっとの実践で先達のような「魂振り」ができる訳ない、って頑なに決めつけている自分がいたということに、苦笑。
けど、やっぱり「道」はまだ遠く。
私は「魂振り」の体験後に、起きる人の表情とオーラの変化という、現実変化にものすごく可能性と神秘性を感じていて。
「道」として続けたいことだ、と改めて確信。
私の中の「祈り」のひとつでも、ある。
【結びに代えて -やっぱり言語化は難しい-】
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
星野先達というお人は、本当に不思議で。
その場に在る「リアル」を大切になさっています。
先達とご一緒したいので、オンラインイベントもできるだけ参加したい。
けど、来月のとってもとっても面白そうなイベントには、大事な予定で参加できず。
けども。
この予定も、先達の教えでもある、自然に身を置き自ら気づく、がテーマだから。
先達やこのイベントも感じながら、より深く自分の内側や自分の祈りとつながる体験になりそう。
末筆ながら、超絶オススメイベントのリンクを貼ります。
何が起きるかわからないけれど、全てを受け入れる在り方「うけたもう」の実践を、昨年秋頃から始めて、少しずつ自分の内側に染み入ってきているように感じる今日この頃なのです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
山伏や修行に関心が出た方も、そうでない方も、このテクノロジー化した現代に日本人が大切にする本来の在り方を模索している方たちはぜひ一度、星野先達というお方をご自身で体験されてみるのも、良いかな、と。
これまでと同じことをしていて、今と違う未来や結果は得られません。
それが真実です。
選択を普段と少しでも変えてみると、現実にもちゃぁんと変化が訪れる。
宇宙の法則の内側を循環して、波紋させて、私たちは生きているのですね。
明日が今日よりも好き日でありますことを。
今日も全力で感謝!