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子どもだった大人の、不自由な自由。

私はどちらかといえば、イベント好きな方だと思います。
子どもの頃から、「お楽しみ会」や「文化祭」で盛り上がる空気が好きでした。初めのうちはノリ気でないような素振りを見せるクラスメートが、徐々にアイデアを出してきたり、嫌々ながらも楽しそうに笑う。そういう姿を目にすると嬉しい気持ちになったのです。

中学時代は、一人で学校新聞をA3用紙に書き、仲の良い先生に全校生徒の枚数を印刷してもらい、全校生徒に配布していました。
当時、県下でも有数の荒れた学校でした。だからこそ、校則なんてどこ吹く風。自由があったのです。(先生大変だったけど)

自分が楽しいと感じた、その月の学校の出来事をまとめて記事にする。
全校生徒に配りたいと言ったら、
「いいよ。やりな。」
と、即答してくれる先生がいたのです。

子どもだった私の自由が、先生に認められるということで満たされた瞬間でした。そしてそれが全校生徒ひとり一人の手に渡った数ヶ月の喜びが、私自身の記憶の中で、たまに蘇るのです。


子どもだった大人の、不自由な自由。

私は「note毎日更新」として、毎日文章を綴ってはいますが、私自身にはそこまで言語化の即興性はないと思っています。
「じわりと感じ」→「言葉を探し」→「つなげていく」こういうステップを踏むことが私の言語化のペースなのだと思います。
そしてこのペースが、とても心地良いと思っています。

ここに存在するのは、私がとても「プレッシャーに弱い」という事実です。
それはHSPという特性が関係しているのかもしれないし、不安を感じやすいタイプだからかもしれません。

大人になった私は、そういう自分の不自由な面を認めることで、自由を手にしているのです。

「いいよ。そのペースでもいいよ。やってみな。」

今日も私は一日中、もしかしたら葛藤している心を知りながら、こんな言葉を自分にかけています。
そうして、確実に前に進む。


中学時代の学校新聞のことを思い出したのは、昨日、鈴木深雪さん主宰の「子どもが教える学校」を、生徒として参加受講したからです。
私のペースで思い返したら、ふと、記憶の引き出しから顔を出しました。

うちの子どもも、こちらに参加させていただきました。
自己承認と他者承認。オンラインで叶ったコミュニケーションに、ただただ、感謝いたします。



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こんなnoteも書いています。ご興味を持っていただけましたら幸いです。


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