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みじめな私を楽しむ?本当の自分に気づくための100日チャレンジ3日目

あっという間に

一日が終わり
一年が過ぎ
で、本当にいいの?

50代という折り返し地点にいる私が
本当の自分、人生の目的に気づくために

残りの時間が100日しかなかったら、という前提ならば何をどう選択していくかという「自分実験」100日チャレンジの記録を綴っています。

★2日目の記事はこちらからお読みください。

100日チャレンジー3日目

3日目にしたこと

アドラーの本と出会いで自分との向き合い方がわかってきた。
一般的には原因を探すのだけれど、アドラーは、自分がそうすることで得られるメリットがあるという目的論を唱えている。

たとえ一般的に歓迎できない出来事だとしても、その現実は私にとってメリット(目的)があって創造していることという捉え方だ。

私の仕事がゼロになり収入が途絶え、なかなか再起できないのも私が何らかのメリットを得るために、無意識でそれを現象化しているわけだ。

で、私は「責任を回避する」ことでどんなメリットがあるのだろう?

責任を取れないと、どうなると思っているんだろう?

思い浮かんできたのが、
・誰からも相手にされない、見放される
・石や唾を吐きかけられる=バカにされる
・見放されてホームレス生活へ
そんな私がすごく惨めな気がした。
それを感じていることがとても不愉快だった。

3日目の気づき

私のこれまでの状態は、感じていることが不快なほどのみじめさより、ちょっとましな我慢できる程度の状態を自分で創造してきた気がした。

なぜなら、自主防衛が働いているからだ。
それに、過去の経験上ツラい状況のときには周りの人は親切にしてくれたから、立ち直れないどん底に突き落とされることがないと考えたのだろう。

その概念を持つに至った過去の記憶はまだ浮かんでこない。

とりあえず、みじめな状況でいることが安心だと思うならしばらくそれを楽しんでみてもいい気がしてきた。

だって、これまでずっとそれを感じたくなくて、私が私を避けようとしてきたんだ。
気づいてほしい、わかってほしい、そんな気持ちを完全無視してごめんね。

3日目の振り返り

知識としては理解していたけれど、本当に私たちは自分が感じたくないことを見事に避けようとする。

だから、いつまで経っても同じパターンをくりかえし人生が好転していかないんだ、ってすごく実感できた。

自分で惨めな状態の限度を設定するから
・好きな人ほど嫌われる前にこちらから嫌になる
・バカにされるより自分からアホを演じる
・ホームレスにならない程度で生活困窮状態でいる
をずっと続けて来れたんだと考えると、素直にうなづけた。

ちょっと、みじめな自分を演じるのを楽しんでみるのもいいし、もしかすると、それもみじめな自分を感じることを避けているだけかもしれない。

明日、もう一度みじめな自分をちゃんと感じてみるね。
今まで完全に無視してきてごめんね。そんな自分がいることもちゃんと認めていくね。

今日も一日ありがとう。
明日も一日よろしくね、私の中の私さん♪

★4日目の記事はこちらからお読みください。


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