昔 あけぼの シンデレラ 令和落窪物語 第十七話 第六章(1)
あらすじ
平安の時代に書かれた『落窪物語』は、我が国色のシンデレラ。
令和を生きる方々に、わかりやすく解説を加えながら、創作部分もふんだんにリライトしました。
貴族の姫として生まれながら、幼くして母を亡くしたおちくぼ姫は、父の邸に引き取られ、意地の悪い継母に虐げられる日々を送っておりました。
右近の少将と結ばれて幸せな日々を送っていた姫ですが、少将からの手紙が紛失し、三の君や継母に秘密で結婚したことが露見してしまいました。
継母はどうしてくれようか、とその胸の裡で密かに怒りを燃やしているのでした。
北の方の怒り(1)
右近の少将がおちくぼ姫の元に通い始めて、姫は愛し愛されることの喜びを知りました。もう以前のように露のように消えてしまいたいという気持ちは無くなり、少将のお側で一生過ごしたいというささやかな欲もでてきたのです。
少将の方はと言いますとこちらも姫の人柄を知れば知る程愛しさが増すばかり。
二人は本当に仲の良い夫婦となりました。
それまで冬という季節は心まで凍てつくようで、姫はあまり好きになれないでおりましたが、今はもう一人ではありません。優しい夫のぬくもりが姫を温めてくれるのです。
こうして甘く幸せな新婚生活はあっという間に過ぎてゆくのでした。
しかし秘密というものはそうそう隠し続けることはできないようです。
その事件は年も暮れようかという頃に起きました。
いつものように中納言邸を訪れた少将は母家で酒宴を催して盛り上がっているのを遠くに聞いておりました。
「こりゃまたずいぶんなバカ騒ぎをしてますねぇ。きっと蔵人の少将でしょう。彼は派手好きですからね」
くつろぐ少将の傍らで姫が繕い物に精を出しております。
姫は少将の問いかけにうっすらと笑みを返すと再び針を動かしはじめました。
「あなたはいつでも縫い物ばかり。いっそ放っておけばよいのですよ」
「そういうわけにもまいりませんわ。着物が破れて困っていらっしゃる方がいるのですもの。もうすぐ終わりますからお待ちになって」
その言葉通りに姫はすぐに仕事を終えましたが、少将はやはり納得がいかない様子です。
「あなたはそんなに気ばっかり遣って疲れないのですか」
「わたくしは平気ですわ」
「むむむ。やはりあなたを私の邸に迎えるとしよう。そうすれば気兼ねなくあなたを独占できますからね」
少将はそう言って姫を引き寄せました。
姫にはこうして自分のことを想ってくれる少将がいてくれるだけで以前の何倍も幸せなのです。もしも少将が迎えてくれるというのであればこの上ない喜びですが、父や義母のことを考えると普通にこの邸を出られるとは思えません。今はただこうして少将の顔を見られるだけで多くを望まない姫なのでした。
翌朝には夜明け前に帰った少将から後朝の文が届けられました。
そこには昨晩少将が仄めかした姫を自邸に迎えることが真剣に綴られてありました。姫はその優しい心遣いがありがたくて、父も義母も関係なく素直な気持ちを返事にしたためました。
わたくしを迎えて下さるというお言葉、本当にそうなったらどんなによいことか。わたくしはいつでもあなたを信じてついてゆきます。
ほんの短い手紙でしたが、姫はもうすっかり少将なくては生きては行けない身であるよ、と愛情が込み上げてくるのです。
姫はこの日ばかりは少し恥ずかしくて阿漕にも手紙を見せませんでした。
手紙はいつもの通り惟成が少将へ届けてくれます。
姫は丁寧に手紙に封をして渡しました。
するとそこに主の蔵人の少将が惟成を呼びだしましたので、惟成は参上せねばとはりきってお召しに従いました。
「少将さま、お呼びでしょうか」
「うむ、髪を結ってくれないか」
「かしこまりました」
蔵人の少将の背後にまわり、手慣れた様子で道具を繰る惟成の横顔は真剣です。なんでも一生懸命というのがこの若者のよいところなのですが、集中してしまうと気を配れなくなってしまうのが難点でしょうか。
惟成はおちくぼ姫の手紙を懐に忍ばせたまま髪を結っていたので、ちょっと下を向いた隙に手紙がするりと抜け落ちたのに気付きませんでした。
蔵人の少将は悪戯心からその手紙を拾うと円座(わろうざ・藁で編んだ座布団のようなもの)の下にしまい込んでしまいました。
惟成が女からどんな文をもらったのかのぞき見てやろうというちょっとした出来心だったのでしょう。
髪が結い上がると少将は何食わぬ顔で手紙を懐に入れて三の君の元へ向かいました。
「おい、惟成が落し物をしていったぞ。女からの文らしい。さて何が書いてあるのか見てやろう」
そして開くと、おちくぼ姫の手跡が現われました。
「うん、なかなかきれいな字を書くではないか」
それにつられてのぞきこんだ三の君は驚きました。
「あっ、それはおちくぼの君の手ですわ」
「おちくぼの君?変な名前だな」
三の君はおちくぼ姫を蔑み、姉妹と認めていないので、苦々しい顔をしております。
「そんな名前の裁縫女がいるのです。惟成はてっきり阿漕の夫だと思っていたのに」
それよりも三の君はその手紙の内容が気になりました。
仲睦まじい夫婦が交わす情のこもったものであるのが憎らしくて、嫉妬の炎がちらちらと頭をもちあげるのです。
それは今ひとつ夫としっくりしない三の君には気に入らないものなのでした。
夫婦となったからとて互いに思い合い、努力を重ねなければまことの愛情など得られるはずもありません。三の君はわがままでちょっと夫の気に入らないところを見るとやいやい文句を言うのです。
そうした処はまさに北の方そっくりともいうべきですが、北の方は夫を立てるツボと操縦法を心得ているもので、甘やかされて育った三の君は慎ましさも皆無のただの世間知らずと言うのが本当のところでしょう。
しかし三の君はただおちくぼ姫が憎たらしくてこの手紙を母の北の方に見せてやろうと考えました。
御前を辞去した惟成は懐に手紙がないのに気付いて真っ青になりました。
先刻髪を結った縁側に戻り、円座をひっくり返したり、もう一度自分の懐を探ったり、髪結いの道具の箱も中身をすべて空けましたが見つかるはずもありません。
そこへ蔵人の少将が惟成をからかいにやってきました。
「おや、惟成。失くしものか?」
その人の悪そうな笑みを見て惟成には少将が手紙を隠したのだと気付きました。
「どうかあの手紙をお返しください」
「さぁて、なんのことかな」
「お願いいたします」
「三の君が『末の松山』とかなんとか。阿漕が可哀そうだと言ってたぞ」
惟成は手紙が三の君の元に渡ったと聞くとさらに青ざめました。
『末の松山』とは歌枕として言い継がれてきたものですが、作者は清原元輔、かの清少納言の父です。
契りきなかたみに袖を絞りつつ
末の松山浪こさじとは
(ともに涙を流しながらお約束を致しました。末の松山が浪に呑まれることが無いように、私達の愛も変わらぬと誓ったものを・・・)
平安時代初期に東北で巨大な地震(貞観地震)が起こりました。
その時海岸にせり出した松が津波を超えさせなかったということから、「末の松山」とは太陽が西から昇らないように、決して起きないものの例えとして歌枕となったのです。男女の愛が変わらないと信じて疑わなかったものを、という引き合いによく使われるのです。
つまり蔵人の少将と三の君は惟成が阿漕を裏切っておちくぼ姫と通じているのだと思い込んでいるわけなのでした。