昔 あけぼの シンデレラ 令和落窪物語 第三話 第一章(3)
あらすじ
平安の時代に書かれた『落窪物語』は、我が国色のシンデレラ。
令和を生きる方々に、わかりやすく解説を加えながら、創作部分もふんだんにリライトしました。
貴族の姫として生まれながら、幼くして母を亡くしたおちくぼ姫は、父の邸に引き取られ、意地の悪い継母に虐げられる日々を送っておりました。
格上の貴族・蔵人の少将を娘婿として迎えるために準備をした名月の宴当日。
美味しい酒に手の込んだ料理、装いも整い、趣向も万端。
さてさて、継母の目論みは如何に?
「おちくぼ」と呼ばれる姫(3)
八月十五夜(じゅうごや)の日。
おちくぼ姫はどうにか仕事を終わらせることができましたが、この十日間あまり眠っていないもので、憔悴しきって臥しております。それでも北の方に怒られることはなかったので、久しぶりに安らかな眠りに引き込まれてゆきました。
平安の貴族達は一年で十二回しか愛でられぬ満月の中でも、この中秋の名月をこそを楽しみにしておりました。
そんな様子を表す和歌があるのでひとつ・・・。
月々に 月見る月はおおけれど
月見る月は この月の月
(月を鑑賞する月はたくさんありますが、まこと月を愛でる月というのはこの月<旧暦八月>ですね)
月、月とくどいほどに連呼されておりますが、その数を数えてみれば八つ=八月の月を表すという、茶目っ気が見られる歌であります。
中秋の名月の宵には貴族達の邸では必ず盛大な宴が催され、見事な月が見られればそれでよし。雲が厚く月が見えなかったとしても「無月」と呼び、雨が降っていたならば「雨月」と呼んでそれぞれの風趣を楽しんだのです。
今宵の宴は上昇志向の北の方が意中の相手、蔵人の少将を三の君の婿にと画策しているので準備に余念がありません。
この貴公子は当代一、二を争う人気の若君で家柄よし、将来は有望なだけではなく、たいそう美しい殿方で、あちこちから縁談が持ち込まれて競争率は半端なく高いのです。
しかし北の方には勝算がありました。蔵人の少将は特にお洒落な殿方で、着物の仕立てにはうるさいということ。
北の方は普段おちくぼ姫を褒めるようなことはしませんでしたが、その裁縫の腕が並大抵ではないことを認めております。
蔵人の少将もその辺りを見逃さぬはずであると踏み、主人の中納言のものから女房たちの装束まで一切を新調させたのでした。
姫が心こめて縫い上げたものが、その出来栄えの見事なことは言うまでもないでしょう。
美しい装束にこだわりの料理、美味いと評判の灘の名酒を取り寄せて、あとは蔵人の少将を惹きつける趣向を凝らすことが肝要です。北の方は昼間のうちに召使いたちを山野へやり、虫を集めるよう命じて、夕暮れにはそれらを庭へ放ちました。
これで舞台は整ったというものです。
陽が暮れた頃に招待客たちが続々と邸を訪れて、庭に面した寝殿に通されてゆきました。
赤々と燃える篝火に浮かび上がる秋草の風情やどこからともなく降るように注ぐ虫の声はなんとも情趣溢れるものでした。
お目当ての蔵人の少将が訪れた時には、まさに主役である十五夜の月が華やかにさし昇り、北の方は躍り出さんばかりに喜びました。
楽人が静かに笛を奏で、美味しい料理や名酒が次々と振る舞われて、心地よい酔いに身を任せると虫の声のあわれさに感じ入る。
リーン、リン。
チンチロ、チンチロ。
ギチ、ギチ、ギチ。
蔵人の少将はやはり美しく纏った女房たちに心を大きく動かされました。
主人の中納言も上等な仕立ての着物を着ると貫録が増して立派に見えるものです。
このように細やかに行き届いた邸でかしずかれる姫はさぞかし、と内心思ったことでしょう。
蔵人の少将はすぐさま三の君との結婚を決めたのです。
影の立役者ともいうべきおちくぼ姫は暗い部屋の隅で目を覚ましました。
風に乗って流れてくる楽の音は遠く、同じ邸内であるのにあちらは絢爛豪華な別世界のようです。
この姫は素直に北の方の言うことを聞いて、一生懸命縫い物をしておりますが、そんな姫の健気な心は継母には通じないのです。
愛されぬということほど苦しいことはありません。
生きてはいてもなんの喜びも無く、姫はただ身罷った母君に早く迎えに来てください、と願わずにはいられないのです。
世の中にいかであらじと思へども
かなわぬものは憂き身なりけり
(この世に長くいるつもりはないのだけれど、迎えがやって来ないことにはどうにもならない人の世なのです。私はいつまでこうして辛い目に遭い続けなければならないのでしょう)
平安時代では仏教が厚く信仰されておりました。
自死はけして許されぬ大罪なので、どうして生きてゆけばよいのか、とまた悲しく項垂れるおちくぼ姫なのでした。