昔 あけぼの シンデレラ 令和落窪物語 第二話 第一章(2)
「おちくぼ」と呼ばれる姫(2)
あと十日ほどで中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ・八月の十五夜)を愛でる宵を迎える頃、源中納言は北の方と庭を眺めておりました。
渡る風がさやさやと薄の穂を揺らし、ほんのりと色をつけた楓が趣深い様子です。北の方は考えていることがあるので、慎ましく夫に好物の菓子を差し出しました。
「過ごしやすくよい夜ですこと。庭の竜胆もあでやかですわね」
などと、情趣を解するように水を向けておりますが、それは計算あってのこと。
「今年の夏は暑くてまいったが、秋口のこの頃が過ごしやすくてよいな」
主人は機嫌よく菓子を頬張りました。
「ねぇ、あなた。庭をもっと趣あるよう手を加えてようございますか?
そして名月の宴には蔵人の少将さまをお招きしましょう」
「はて、蔵人の少将とな?」
「ええ、将来も有望な貴公子ですわ。来年裳着を迎える三の君の婿君に如何(どう)かと」
「ふむ、しかしあちらは名門だぞ。それに蔵人の少将といえば人気の公達。我が家の婿君になってくれるかどうか…」
「ですから名月の宴で手厚くおもてなしするのですわ。たいそう趣味のよい御方であるという噂ですので、この庭を秋の情趣溢れるものに整えたいのです」
「ふむ、それは名案ではないか。蔵人の少将が婿になってくれれば我が家の家運もさらに開けよう」
北の方は思う通りになったので内心にやりとほくそ笑みました。
化粧を刷いた顔は美しいものでしたが、どうにも冷たい感じで、何より目が笑っていないのがぞっと背筋を冷たくさせる女人です。
そして時折見せる意地の悪そうな目つきがこの人の腹の底を表していると言ってよいでしょう。しかし夫である中納言は歳をとり、家のすべてのことを妻に任せて頼りきりであったので、そうした妻の内面には気づかないでいるのでした。
夫の承諾を得た北の方はさっそく都で一番という評判の造園師を呼び寄せ、野趣溢れるうちにも上品な庭を作るよう命じました。
「奥さま、秋草は如何(いかが)いたしましょう」
造園師は恭しく北の方にお伺いを立てます。
「秋の花は地味なものばかりですからねぇ。白萩などは趣があっていいわ。薄をそこかしこ群で作って花は控えめにしておくれ。でもちゃんと存在があるように整えるのよ」
こんな具合に北の方はこまごまと指示を出して次の仕事に取り掛かりました。
次の仕事とは落窪の間に向かうことです。
たくさんの美しい綾の反物を女房に持たせて、北の方がやって来たのは、召使たち起居する邸の裏手、陽も差しこまぬようなじめじめとした場所です。
おちくぼ姫は縫い物が得意でしたので、北の方はお針子のようにコキ使っているのです。
「おちくぼ、仕事ですよ。昨日言いつけた縫い物は終わっているの?」
「はい、お義母さま。今糸を切って終わります」
そうして忙しそうに手を動かして、おちくぼ姫は出来上がった着物を丁寧にたたみ、継母へと差し出しました。
そのあげた顔の美しいこと。
長いまつ毛に純真な瞳、頬は薄紅でなんとも艶やか、化粧などしなくとも輝くばかりに美しい姫はつぎはぎの当たった薄汚れた着物を身に着けておりました。
「まぁまぁの出来だわね。次の装束はもっと丁寧に縫うのですよ」
これ以上ないほどに美しく仕上げられているものを、さも不出来のように辛く言うのがこの人の常の態度なのです。
「はい、お義母さま」
姫はいつでも心を傷つけられて、その度に悲しく俯いてしまいます。
姫の生みの母君は、皇族の出身で大層身分の高い女人でしたが、体が弱く姫が十歳にもならない頃に儚くなってしまわれました。
平安の貴族というものは妻を何人持ってもよいことになっておりましたが、それは社会の仕組みゆえ、女人の気持ちというものは今の我々とはなんら変わろうはずもありません。
多くの妻がいればいるほどそこには諍いの種があるわけで、正妻の座を巡っての争いは表面には表れなくとも、陰惨なケースもあったのです。
姫の母君は控えめな性質で争おうという気も無かったのですが、この継母の方は違いました。ことあるごとに嫌がらせをするもので、気に病んだ姫の母君は日増しに痩せ細り、とうとう身罷ってしまわれたのです。
父・中納言の意向でこちらのお邸に引き取られましたが、継母である北の方はおちくぼ姫を自分の娘たちと同様には扱わず、まるで使用人のように働かせているのです。
しかし自分の子ではないからと言ってどうしたわけでそのように辛くあたるのでしょうか。
それは恐らく劣等感と妬みからでしょう。
北の方は中流の出で夫を支えて中納言にまでしたのですが、後から現れた皇族の姫に夫を奪われたという意識が多分にあったのかもしれません。
夫の顔を立てて姫を引き取ることを承諾したものの、その姫が自分が産んだどの姫よりも優れていたことも、北の方の心をさらに醜く歪ませました。
もしも姫が不器量で愚鈍であったならば憐憫をもよおして虐げるようなことはしなかったでしょうか。
心貧しき人なればその辺りはどちらとも言えませんが。
「今回の装束は十日後の名月の宴に着るものですからね。それまでに仕上げておくのですよ」
北の方は山のように織物を積み上げて戻って行きました。
途方に暮れてまた涙が溢れる姫ですが、仕上げなければあの恐ろしい継母に折檻されるかもしれません。
泣いている暇などないのです。
さっそく一反目を取り上げましたが、たまりかねて詠みました。
日にそへてうさのみまさる世の中に
心つくしの身をいかにせむ
(毎日辛い目にばかり遭うこの身に明るい将来などありえようか。かといってどうにもできぬのが口惜しい)
「御方さま、さすがにあの量の縫い物はお気の毒ではありませんか?」
弁の君と呼ばれる女房は優しい気性なので北の方に進言せずにはいられませんでした。
「そう思うならお前が手伝ってやればよい。ですが、自分の仕事が終わってからにするのですよ」
このように言われては弁の君も口を噤むしかないのです。
名月の宴に向けて忙しくなるものを自分の寝る間を削って姫を手伝うなど到底できそうにありません。
北の方は女房たちにも厳しく、少しの落ち度でも重箱の隅をつつくように責めるので、人のことを気にしている余裕はないのです。
このように気の強い北の方が邸を仕切っているもので、自然と女房達もおちくぼ姫から距離を置き、身分が高いはずの姫を軽んじているのでした。
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