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自己紹介と名前のこと

はじめまして
ゆかりといいます。

奈良県に住む32歳の会社員です。
2020年になったので何か始めてみようと思い、noteを開設することに。
毎日続けられる自信はありませんが、続けていくうちに何かが見える気がしたので少しでも長く続けられたら良いなと思っています。

ふらっと見つけたさえさん(https://note.mu/sae8320)のnoteでご自身の名前について書かれている記事を見ました。
そして思い出したのです。
名前、そういえば私は自分の名前が大好きだったと。

1番初めのnoteは私自身を表す名前について書きたいと思います。

私の名前はゆかり。

由香利と書きます。
特に珍しくもなく、かといってありふれたクラスに何人もいるような流行りの名前でもなく。学年にせいぜい1~2人いれば良いような名前。
しかし、私は高校生になるまで同級生など身近なところに私以外のゆかりちゃんはいませんでした。高校に入って初めて同学年に2人ゆかりちゃんがいて、何だかそわそわ。変な気分になったのを覚えています。

由香利という名前の由来。
小学生の頃、参観日に発表するために親から自分の名前の由来を聞いてくるという課題が出ました。年齢的にクラスメイトの名前は女の子は〇〇子ちゃんも〇〇美ちゃんもいる、読み方に困るような名前の子はほとんどいませんでした。(男の子はゆうきくんが多かった気がします)
友人は「明るい子になって欲しいから明子になった」とか「優しい子になって欲しいから優子だよ」と、親から教えてもらった自分の名前の由来を嬉しそうに教えてくれました。
一方私はというと、正直親から教えてもらった名前の由来に困惑していました。

何故なら「怒鳴りやすいからゆかり」「ワープロで変換して最初に出たのが由香利」だったと。

「怒鳴りやすいってどういうこと??」と尋ねると、「最初は百合子にしようと思ってたけど、「百合子!!」って怒鳴るより「由香利!!」の方が怒鳴りやすいでしょう?」と。
なんちゅう理由だ…

他にも名付けのエピソードはあるのですが、
・子が付く名前は古臭いから嫌だ(母は子が付く名前で嫌だったらしい)
・漢字1文字の名前は嫌だ(父は名前が1文字で嫌だったらしい)
・漢字3文字が良い
・絶対に読み間違えられない名前が良い
・百合子は父の元カノの名前に百合が入っていたから父の一推しだった
・↑ということを知って母が却下した

…いや、「ゆかり」はどこから来たんだ(笑)

結局、どういった経緯で「ゆかり」とつけられたのか分からないままです…
参観日に発表するにもどう話して良いものか小学生ながらに考えた結果、母が聞いているため捏造も出来ないので「漢字3文字で絶対読める「子」のつかない名前を色々調べて決めた」と発表しました。

私には妹がおりまして、名前は麻由美といいます。
まゆみ自体は全然珍しくないですが、私は妹が羨ましかった。
それは妹の名前を決めるとき、両親が漢字で揉めたと聞いたから。
母は「眞由美」が希望、父は「真由美」が希望。
結局お互い譲らなかったのでどちらでもない「麻由美」になったと。
たったそれだけなのにとても羨ましかった。
だって私の名前の漢字を決めたのは両親でも祖父母でもない、「ワープロ」だったのだから。

名前は親から子への最初のプレゼント。
そう言われるものを、しかも初めての子供につける名前をワープロに託す親がいますか。
しかもウチのワープロの嫌なところは微妙にメジャーじゃない漢字をたたき出していることなんです。
恐らく世のゆかりさんは圧倒的に「由香里」さんが多いんですよ(私調べ)
それをウチのワープロは最初に「由香利」を出した。
そりゃあ世の中には「由加里」さんも「由佳里」さんも「友可利」さんだっているでしょう。
別に良いんですよ「由香利」で。気に入ってますから。
でもよく間違えられる。「由香里」に。
何度新年早々届いた年賀状見て落ち込んだことか。
苗字もそう、私の苗字には「阪」が入っているのですがしょっちゅう「坂」と間違われる。
(読み方は普通ですが、同じ読みでもう一つメジャーな漢字のがあるから間違えられる。例えば太田と大田のような)
酷い時には苗字も名前も間違っていて、それはそれは悲しくなります。
私という人間は一体何なんだと思ってしまう。

だからなのでしょうか、名前を間違われることにとても敏感になってしまっていました。
社会人になって初めてもらった年金手帳。
ページを開くとそこには私ではない名前。
苗字と名前が間違っている。
総務に間違っている旨を伝えて社会保険事務所に連絡してもらい、数日後新しい年金手帳が届きました。
しかし、ページを開くとやはり私ではない名前。
その下の「変更」の欄に私の名前が書かれていました。
私は泣いてしまった。
私は生まれてからずっと使っていた名前を蔑ろにされた。
「変更」なんて一度もしていない。

そのあと母が激怒して社会保険事務所に乗り込んで行ったので今は正しい名前の年金手帳が手元にありますが、その出来事以降名前を間違える人が本当に無理だった時期がありました。
営業の人が作った資料の事務担当の私の名前が間違っていれば文句を言い、得意先から送られてきた書類が間違っていれば「同じ読み方の苗字の人がいて間違えやすいので~」などと上手く(?)言いながら訂正させた。
絶対に間違えられたくなかった。
その代わり、私は絶対に人の名前は間違えなかった。
個人客相手の仕事をしていた時は何度も字を確認し、絶対に間違えなかった。
今はそこまで敏感ではありませんが、その頃はとにかく名前を軽んじる人の多さにいらいらしていたように思います。

名前とはその人のアイデンティティ。
その人そのものだと思います。
どうでも良いと思う人がいるのは理解しますが、全ての人がどうでも良いと思っているわけではないです。
少なくとも私自身は。

今10年以上務めた事務職を離れて人手不足のために工場勤務をしています。
事務を離れて良かったと思うことは、名前の呪縛に縛られなくなったことかもしれません。
10年以上勤めて、口酸っぱく名前を主張してきたので会社内で私の名前を間違って書く人はいない。
工場では取引先相手に話をすることもないので、間違われることもない。
事務が天職だと思っているので工場での作業はとても苦手ですが、少し楽な気持ちでいられるのは良かったと思います。

名前という呪縛に囚われて、名前で嫌な思いをしたこともとても多いのですが、私は自分の名前がとても気に入っています。
何故なのか。
私にもわかりません。
名付け方も気に入らないし、よく字を間違えられるし。
でも好きなんですよね。自分の名前が。
由香利以外の名前の私なんて考えられない。
そう思える名前を持っていること、とても幸せなんだと思います。

名前について私が1番嬉しかったことを1つ。
20代前半の頃、私はヴィジュアル系バンドの追っかけをしていました。
熱心に通っていたのもあって、メンバーの中でもファンだったヴォーカルの方に名前と顔を覚えてもらっていました。
そのバンドが解散することになって、解散前にファンクラブ旅行があり、旅行の催しの中でメンバーにサインをしてもらえる時間がありました。
他のファンの方と一緒に列に並び私の番になった時、ヴォーカルの方は私の顔を見て、ニコっと笑い、色紙に自分のサインを書いたあと自信満々な面持ちで大きくこう書きました。

「由香利へ」

大好きな人が私の名前をちゃんと覚えて書いてくれたことが本当に嬉しくて嬉しくてたまらなかったです。私の宝物です。









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