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生涯で日本人の2人に1人がなると言われている癌。
なる比率は年齢が上がるほど高くなると言われています。
そんな癌に私は30代前半でなりました。

若年性の癌でした。


少し暗い話、もしくは遠い話に聞こえてしまう人もいるかもしれませんが、“先生という職業の方にこそ知ってほしい”のであえて発信しようと決めました。


1. 病気が見つかるまで


私のインスタをずっと見ていただいている方はわかるかもしれないのですが、私は家庭の事情で講師歴が長く採用が少し遅かったです。

その分採用された年は、「更に仕事を頑張るぞ!」と期待に胸が膨らんでいました。講師の時からどの教科も楽しく教材研究していたので、これを機に何かの研究会に入りたいともいろいろと考えていました。
道徳かな?特活かな?とようやく教科が絞れてきた時期に体に変化が起こりました。

普段であれば少しくらいの体調の変化では病院に行くことはないのですが夏休みということと何か嫌な予感がし、すぐに病院に行きました。

検査後、先生から

「腫瘍があるね。気付かなかった?でもあなたは若いから、大丈夫。
きっと良性の腫瘍だよ。」

と言われましたが、不安しかなく、生きた心地がしないまま帰りました。
結果が出るのは10日後でした。

それから10日後、検査結果を聞きに行きました。

結果は癌でした。


2. 癌とわかってから…

お医者さんも若年性ということで驚いていましたが、悪性腫瘍とわかった以上、手術をしなければいけないと言われました。運が悪いことにその結果を聞きに行った日は夏休みがもうあけようとしていた時でした。

頭をよぎるのは “子どもたちのことと抱えている仕事” のことです。

・クラスはどうなるんだろう?
・代わりの先生はいるのだろうか?
・どれくらい休むことになるの?
・あれらの仕事はどうなる?
・初任者研修はどうしたらいい?

頭の中がいろんなことで一気にぐるぐると回り、いつまでも手術時期を決めれない自分がいました。


そんな私をみかねた先生から

「手術しなかったら死ぬよ。」

と一言。


心配なことが頭を占領していましたが、その一言は大変重く

「死ぬのは嫌だな。」

と心の底から思いました。

代わりの先生がいるかはわからない・・・。
抱えていた仕事がどうなるかはわからない・・・。

だけどその一言で手術日はなんとか決まりました。

学校でも校長先生に結果と手術時期を伝えました。それからは私が病休をとる間のことが話し合われるようになりました。

講師経験はあったとはいえ、正規採用という立場になった年でこれから更にいろんなステージでもがんばろうとしていた自分にとって、すごく悔しい時間が過ぎていくことになりました。

それからは日々の業務だけでなく、休むためのたくさんの準備にも追われ、そして体のこともあるので不安と戦いながら日々を過ごすことになります。

3. 最後に


日本人の2人に1人。

すごい数ですよね。
だからこそ、人ごとではない癌という病気。

しかしいざなってみると、高齢になるほどかかる確率が上がるからか、
私と同じ年ぐらいでなっている人は周りにはいませんでした
また、学校を病休で休むと言っても「精神疾患」の方が多く、癌を患って休職する人には今まで会ったことがなかったのです。

なのでもしそういうことがあった時に、誰にも相談できなかったり、周りにそいう人がいなかったり、どうしたらいいかわからなかったりして不安になる人もいつかもしれません。

あの時の私がそうでした。

なのでこの記事が必要となる人は少数かもしれない。
でも少数でもいいので少しでも励みになれば、誰かの参考になればと思っています。

そして私はもうとても元気です。

今は医学も進歩していて、癌と共存して強く生きてらっしゃる人はたくさんいらっしゃいます。

今回はおさまりきれず、次の投稿こそ、先生たちに見ていただきたいので、またお付き合いいただけたらと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございました🍀

②に続きます・・・。


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