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映画『きみの色』は私に大切なことを思い出させてくれた、という感想

こんにちは、雨夏ユカリです。普段は場末でニッチな文章を書いています。

今回は、先日観てきた映画『きみの色』の感想をお話ししたいと思います。結論から言っちゃうと、『きみの色』めちゃめちゃ良かったです。

正直、最初のほうはちょっと「ふーん」って感じでした。中盤あたりまでそんな印象でした。

が、最後まで見終わったときに、この映画に込められたメッセージみたいなものがスーッと理解できるようになって。そのメッセージが心にぶっ刺さって。帰り道ではずっと「よかった」を連呼してました。完全に怪しい人です

忘れかけていた大切なことを思い出させてくれた

一言で言うと、『きみの色』は私たちが忘れていたことを思い出させてくれる、そんな作品だったんじゃないかなと思います。

それに、現代創作への新しい提案になっているんじゃないかな、っていうのもすごく良かったポイントです。

『きみの色』の好きだったポイント

といっても抽象的すぎるので、良かったところを3つほど上げたいと思います。

  1. 音楽が中心的な役割を果たしていないこと

  2. 主人公が脇役であること

  3. 上の二つをめちゃくちゃ肯定的に描いていること

この3つが、私の心にめちゃくちゃぶっ刺さりました。本当に良かった。

順番に深掘りして話していきたいと思います。



音楽が中心的な役割を果たしてない


まず、『君の色』では音楽が大きな中心になっていません。バンドを組む話なのに。

実際に見てもらった方はわかると思うんですけど、音楽は脇役です。登場人物みんな音楽に対してガチじゃないです。

高校生が3人集まってバンドを組むんですけど、今回の話って別にそれが音楽じゃなくても全然成立します。それこそ、サバゲーのチーム組みましたとか、みんなでゲーム作ろうとか、なんなら、みんなで集まって鬼ごっこやってましたとかでも全然成立する話だと思います。

トツ子たち三人にとって、音楽は「なんとなく興味がある」ものであり、ガチでやるものでもない。

トツコたちが、音楽を通して変わったわけではなく、良い友達と出会えたこと、友達と一緒に何かに取り組むっていうことを通して変わっていく物語になってるんです。

人生におけるターニングポイントですらない

これの何がすごいって、多分、みんなで集まった部分もそこまで重要ではないことです。今回の出来事そのものが、彼らの人生にとって思い出にはなっても、重要なターニングポイントにはなってないんですよ。

例えば、ルイ君も別に進路を変えたわけでもなく、結局医学部に行ってるし、キミちゃんが学校に戻るとか、音楽を仕事にするみたいな展開もないんです。トツコ自身も、自分の色が見えるようになった以外の大きな変化ってなかったです。

この「ターニングポイントじゃない」というのがすごく良かったんです。

今回の出来事は、人生におけるターニングポイントとか、人生の一瞬を燃やし尽くすその瞬間とか、そういうものですらなく、ただただ日常の延長にある思い出に過ぎない。

その「思い出に過ぎない」というのを肯定的に書き切ったっていう部分が、めちゃくちゃこの作品ですごいところだと思うんです。

ガチなことが正義だと描かれがちな現代

基本的に現代の創作界隈において、ガチなことは「正義」として、「良いこと」として描かれやすい性質があるように思います。

例えば、今ジャンププラスで連載している『ふつうの軽音部』とかも、ギターとかに対して真面目に真摯に取り組むことが大事なこととして描かれてるじゃないですか。

他の作品を見ても、やっぱり基本的には創作であれ演奏であれ音楽であれ、その何かに対して真剣に取り組むことっていうのが、どうしたって正義として描かれやすいんです。

これは理由はシンプルだと思っていて、創作でプロになるためには「ガチ」である必要があるからです。

そして、作者は経験していないことを想像で創ることはできても、自分の「信念」に背くことは、肯定的に書きづらいものです。

ゆえに、クリエイターになる過程で「ガチである」ことに肯定的にならざるを得ず、クリエイターは「真剣にやることが正義」と考えやすいです。そうじゃないと生き残れない、というのもあります。

それゆえに、有名な作品では登場人物が「ガチである」ことが推奨されがちです。

でも、『きみの色』はそうじゃない。

登場人物たちは別に曲作りに真剣になったわけじゃないし、最後にホームページで音楽を発表する時も、すごい素人感溢れる感じの発表の仕方をしてて。どこまでも彼らは真剣に音楽をやってないんです。

でも、ガチでやらなくても、「人生の中の良い思い出」として存在できる、と、「ガチでないこと」を肯定的に描いている点で、この作品は私に大切なことを思い出させてくれたと思います。


主人公が脇役である

二つ目のポイントは、主人公が中心でないってことです。

トツコちゃん自身は、今回の話の大きな主役かというと、別に主役じゃないです。確かにトツコちゃん自身も自分の色が見えるようになった変化はあるんですけど、トツコは別にそこまで切実な苦しい悩みを持っているわけでもない。

どちらかというと、主人公じゃないキミちゃんとかルイ君とか、彼らがやっぱり圧倒的に苦しい状況にいるわけです。

トツ子はどちらかというと、彼らの悩みを解決する「きっかけ」を与えたに過ぎない。

トツ子自身が最後に作った歌にもあるように、トツ子は「惑星」です。つまり、太陽のように輝くキミちゃんの周りを回っている存在、それがトツコ自身だってことなんです。

クライマックスのシーンでも、大きく走って手を振るのはきみちゃんです。トツ子はあくまで、後ろから追いかけているだけです。

そして、この作品はそのこともまた、肯定的に描いています。あくまで私の解釈ですが、トツ子が最後に「自分の色が見えるようになった」のも、そこに関係していると思っています。

つまり、最初のころのトツ子ちゃんは「脇役」であることを受け入れることができていなかった。だから自分の色を、「受け入れる」ことができずに、「自分の色が見えていなかった」わけです。

が。最終的にトツ子は「自分が惑星」であること、「誰かの輝きを手助けする人」であることを、心から受け入れ、それでよいと思えたことで、「自分の色」を見ることができたんじゃないかと思います。

この2つを肯定的に書くことが、私に大切なことを思い出させてくれた

『きみの色』を見て、色々忘れてたなって思いました。

ガチで創作活動をやっていると、どうしても「切実」になりがちで、それを「正義」のように思いがちです。

真剣にやらなきゃとか、切実にならなきゃとか、そこだけに視点が向かいすぎてしまって。それ以外の視野が狭くなっちゃうというか、それ以外のところに目が向かなくなっちゃうことってあるなって思います。

でもなんかこう、ガチでやることとか真摯になること、切実になることだけが全てじゃなくて。「ガチでやらない」こともまた、「素敵な思い出になりうる」ということを、この作品は私に思い出させてくれました。

思い返してみれば、自分も昔、みんなでワイワイと楽しく作品を作っていた時期があったんですよね。お世辞にも良い作品とは言えなかったけれども、その経験自体は今も思い出となって残ってる、そんな大切なことを思い出させてくれたように思います。

結論:「きみの色」はよかった

というわけで。

『キミの色』は本当に良かったです。良い作品だった。

あ、最後に、ひよこ先生のことも触れておこうと思います。

ひよこ先生、良い。

序盤のトツ子が静寂の祈りを行っている場面で、トツ子の視野を広げるようにそれとなく促したり。

みんなが帰れなくなった時に、「あなたたちは合宿してるんです」って言って、主人公たちの大事な時間を守るために自ら責任を負う姿。

そして最後に、ロックをやっているという意外性。これら全部含めて、ひよこ先生は本当にMVPだったなと思いました。

というわけで、『きみの色』はとても良い作品だったので、こうして思わず感想を書き連ねてました。


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あと、本拠地のほうでニッチな文章を書いているので、よかったら遊びに来てください。

それではみなさま、ごきげんよう。

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