メダカとタニシを見て「世界は人間のためだけにあるわけじゃない」と思った話
私は自宅のベランダで、2022年からメダカを飼っている。正確にはアクアポニックスという、水耕栽培と魚の養殖(私の場合は観賞用なので飼育)を掛け合わせたシステムの家庭用キットの水槽にメダカを入れている。
魚を飼育するのは大学生の頃にベタを飼って以来だったけれど、アクアポニックスは魚・微生物・植物の三者が生態系をつくって循環するシステムなので、いろいろと学びがあって楽しい。
昨年の12月から3ヶ月間、私はニュージーランドへ短期留学に行っていたので、その間はお世話を夫に任せていた。夫も餌をあげたりしていたせいか、以前よりメダカに対して愛情深くなったように感じているが、その捉え方は少し違って「えっ」と思うことがある。この記事では夫の発言に対して私が考えたことと、その気づきについて書きたいと思う。
我が家のメダカとタンクメイトたち
まずは我が家のメダカ水槽について紹介したい。
2024年4月現在、水槽にいるのは白メダカの成魚が1匹。そして、昨年秋に楊貴妃の卵から生まれたチビメダカ7匹の計8匹である。ちなみにおチビさんたちは、黒い水槽に入れているせいか全員黒メダカになった。
そして今日の話のメインになるのが「タンクメイト」。
我が家では、タンクメイトとして石巻貝1匹とヒメタニシ1匹を飼っている。
昨年はヤマトヌマエビも飼っていたのだが、夏の高温で星になってしまった。その前の年にも石巻貝が冬の寒さで亡くなってしまった経験があったので、今回はそれを防ぐためにやや生育の遅かったベビーメダカ2匹と貝たちを冬の間だけ屋内水槽に避難させることにした。
夫の「タニシは水を汚す」発言
屋内水槽で使っていたのは、テトラの「静かなメダカ飼育セット」。キューブ型でクリアなプラスチックの水槽である。
透明なので、苔がついたり糞があったりすると当然ながら目立つ。ただ、小さめのベビーメダカが2匹しかいないということもあり、餌の食べ残しを貝たちが食べて水をきれいに保ってくれる、というお守り役を私は期待していた。
そして3月、私がニュージーランドから帰国したあと、松本から友人夫婦が我が家に遊びに来た。友人も昨年からメダカを飼い始めたこともあり、水槽を見せたのをきっかけにメダカトークもややはずむ。
友人の家のメダカ水槽にはタンクメイトがいないので、貝の話になった。そのとき……
夫「タニシね、こいつが結構水を汚すんですよ〜」
私は驚いた。なぜならタンクメイトは「お掃除屋」として入れていたからである。
タニシはグリーンウォーターに入れておくと水が透明になってしまうと言われるほどで、水質浄化能力に長けており、水槽に生えたコケなどをむしゃむしゃ食べてくれる。
ただ、夫の言うこともある意味理解できる。
なぜならヒメタニシはコケを食べてくれるけれど、そのぶん糞をたくさんするから。それにベビーメダカ2匹の餌はホコリ程度の量、かつ冬は日光があまり当たらずコケも少ないので、おそらく餌が少なくて濾過摂食をしていたのだろう。白いモヤモヤした粘液のようなものが、時折水槽の中を漂っていた。それを見て夫は「タニシは水槽を汚す」と言ったのだろう。
人間目線か、メダカ目線か、それが問題だ
当たり前だけれど、メダカは糞を「汚い」なんて思わないはずだ。
もちろん、糞が多くなりすぎると水質が悪化して体調に影響を及ぼすことはあるかもしれないけれど、水が循環しない水槽は自然界に置き換えれば特殊な環境だ。アクアポニックス水槽は微生物が糞を分解してくれるし、水槽の水が植物のプランターへ循環するので、理論上は汚くならない。基本的に掃除や水換えもいらない。
ただ、「人間目線でのきれいさ」を除けば、だ。
私たちの思う「きれい」は何だろうか。
透明な水槽にたとえるなら、コケもない、糞もない状態?
ふと、都市の公園に流れる人工の川を思い出した。水は透明で、清掃が行き届いていて、子どもたちが遊ぶにはちょうどいいかもしれないけれど、おそらく水は消毒されていて生き物は住めない。
それは、生物にとっては「死」に等しいのではないか。と思ったのだ。
人間目線では「糞があって汚い」と思うような環境も、メダカ目線だと「水質がよくなった、きれい」と思っているかもしれない。自然界だと土や砂に混じって糞も気にならないし、循環して微生物に分解され、また土に戻っていくだろう。
人間は勝手だ。山や海に行って「自然は美しい」と言ったかと思えば、「糞は汚い」と言う。私の飼っているメダカやヒメタニシは観賞用に繁殖されたものだけれど、それでも人間のために生きているわけではない。
でも、私たちは塵ひとつない、無味乾燥な世界に生きていきたいのだろうか。そうじゃないはずだ。きっとそれは同意する人も多いだろう。
私のビジネスパートナーは環境や社会に配慮したビジネスを行っている方が多く、私自身もできればよい選択をしたいと思って暮らしている。
私との会話を通して、夫も普通よりかは知見を持っていると思うし、私の意見に「そうだね」と言ってくれることが多いのだけれど、夫の言動を見ているとある意味世間一般の感覚を表しているようで面白い。たとえばスーパーでちょっとでも傷のついた野菜や果物は買いたがらないし(おつとめ品以外)、虫食いや虫そのものにも敏感だ。
私たちが住んでいる家、食べているもの、暮らしている街は、まず間違いなく人間のために設計されている。だけどきっと、「人間目線じゃないきれいさ」の感覚をこれからは取り入れていかなくてはいけないはずだ。
私はメダカや貝たちが安心して暮らせないような世界は、ちっとも美しくなんてないと思う。
「人間目線なのか、メダカ目線なのか?」
違和感があったら、そう問いかけてみるといいのかもしれない。世界は、人間のためだけにあるわけではない。そんな大切なことを、メダカとヒメタニシに教えてもらった。