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セイナルモノ

世の中に物申したい!世界は少しのマジョリティではなくたくさんのマイノリティで成り立っている!
誰かが言いたいと思っていることを言えてしまうわたしが、言いたいことを言えなくてしくじった経験を踏まえて、物申します。
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テトリスのような業務の詰みっぷりと戦っているここ最近。
noteを書きたい気持ちと、時間や心の余裕のなさの反比例。
ようやくこの週末でひと呼吸。

noteのおかげで勝手に心の友と思っている方の投稿を拝見した。

わたしはニシヤマを非難する気にはなれない。
まあ、お子ちゃまだとは思うけど。
敢えて「男子」と言わせてもらって、典型的な「男子」だと思う。
あっけらかんと「ねぇねぇ、処女?」って聞けちゃう点では、ある意味健全な男子(中二病的)だとすら思ってしまうかも。

あるおじいちゃんの恐らくは全く悪気のない発言が世界的にも取り上げられて、ジェンダーについて世間が一気にざわざわし始めて、言葉狩りみたいな風潮もいかがなものだろうとひとり悶々とモヤモヤを抱えつつ、目のまえに降ってくる期限のある仕事をこなすのにヒーヒー言っていた。

多分まとまらない気はする。でも記しておこう。

大方の「人間」という生き物は、オス・メスの性別を持つ。
個体に明らかな差があり、機能も違う。

2021年の現代、どんなふうに学校で教育されているのか、こどもを持たないわたしは知る由もないのだけど、きっと恐らくは、小学校の高学年で、初潮を迎える女子がいるからそこに合わせて「生理」について、第二次性徴について、女子生徒への教育は行われているはずだ。何十年も前のわたしが受けたように。

高校生活を女子高で過ごしたわたしは、性病とか子宮に関する病気のことを教えてもらう時間があったと記憶している。子宮内に歯や髪の毛が生えている衝撃的なスライドが印象的だった。

先日、女性の健康に関するWEBセミナーを聴講した。テーマの中に更年期があって、言葉では知っていても誰もちゃんと教えてくれなかったから、改めて知りたいと思ったからだ。

そうなのだ。
初潮についてや身体の変化については、学校教育の中で時間を割いて知らされる。でも、それ以降、恋愛と性交渉、子宮筋腫や内膜症、妊娠・出産、その後の身体の変化、妊娠は全員が可能なものではないこと、女性だけの問題でなく男性にも不具合があること、閉経、更年期。
これらのことは、たちまち、その都度、突き付けられたその時に、慌てて適当な情報を個人レベルで仕入れて(インターネットやテレビの情報番組とか)処理したり、医師に質問したり、でしか語られることがほとんどなのだ。

WEBセミナーでの更年期についてのレクチャーは、目から鱗だった。
そういうの、早く言ってよ、って思う内容だった。
閉経後の高血圧や高脂質のリスクも、リスクとは知っていたけど理由なんか知らなかった。女性たるパーツを司るホルモンも実はコレステロールからできているなんて、知らなかったよ。
乱暴な言い方をすれば、ハタチを過ぎたら、成人したら、全部自己管理かよ?って(苦笑)
個人差はあれども誰もが等しく通る道筋なのに、急に放置、な印象。

自分の身体のことですら、こんな感じなのに、異性の身体についてなんて言ったらもっと放置、だよね。

わたしの父は外面は真面目な敏腕サラリーマンだったけど、下心もバッチリ持ち合わせたスケベ親父で、飲み屋のママと仲良くなったり、出張の度に袋とじのグラビアのある週刊誌や官能小説の文庫本を持ち帰ってきたり、几帳面にお気に入りのグラビアはラミネート加工して保管しているような男だった。
わたしが成人して、帰省の際にサシ飲みに誘われ、その店の壁にあるビール会社のパンパンのビキニのおねーさんのポスターを顎で指して、
「あのな、いい女ってのはこういうもんなんだよ」
と真顔で言ってきたときは、ははぁ。そうですよね?あなたの価値観では。と呆れたものだった。

自分とは違うものに対して、人間は興味を持つ。
自分にはわからないものに対して、人間は恐れと妄想を抱く。

女性の胸。髪の毛。くびれ。肌の柔らかさ。
(毛深かったわたしはグラビアのつるつるの肌との違いに、それが”処理”されたものとは知らずに一時期本気で悩んだっけ)
男性とは違って限られたひとしか見ることができない性器。
身体のメカニズム。

男性が妄想を抱いてしまうのはある意味仕方ない。
「聖なるもの」と位置付けてしまうのも、誰も教えないのだから仕方ないと思う。
でも勝手に「こうあるべき」と固定観念をもたれてしまうのも違う。
かたち、大きさ、位置、反応は、彼らの妄想とは決してイコールではない。

わたしは性に関してだいぶおかしな感性を持っていたので、早く初潮を迎えたかったし、早く性交渉を試したかったし、「死ぬほど気持ちがいい」を体験したくていろんなひとと試したいと思ったりしていた。(とはいえ、キラキラ女子ではなかったのでモテモテではなかったし、だいぶこじらせていたけども笑)
だから、いわゆる下ネタに対しても、あまりナーバスになることはなく、むしろ、
「ああ、男の子ってこの程度の理解度なんだ」
「ああ、男の子ってこういう話を面白いと思うんだ」
と情報収集の場として楽しんでいた。
わたしの胸が彼らが勝手に思い込んでいたものよりも立派だったことに、何年かして気づいた仲間たちが、
「ドーピングだ!」と指摘してきたのに対して
「オーガニックだ!」と、笑いながら返せるメンタルをわたしは持っている。
でも、そう言えない人たちの方が、きっと多いんだよね。

30代後半くらいからだろうか。
仲間の男子たちにも、不妊治療に取り組む子が出始めたり、同性でも筋腫やら不具合やらの話が出るようになって、男性たちが作り上げた「聖なるもの」の影響力の大きさを思い知り、そのあまりにもひどい非現実的さに笑ったり、リアルな悩みなどを性別関係なく、真面目に話ができるようになった。
男性の不妊治療のための検査で、精子を調べるのに、検査室内にAVや本が用意されていてそれらを元にして検査をすることを聞いたときは、あまりのアナログさにびっくりした。
年下の友人が、乳頭の色を彼氏に指摘されて本気で悩んでいることとか、性交渉のあれこれを全て、彼氏軸でとらえられて、女性の身体や女性自身に全て非があるようなことを言われて悩んでいるとか、そういうことを聞いたときはひっくり返りそうになった。

性のことって、生きていくこととの一部なのに、まだまだ勝手に「聖なるもの」=立ち入ってはいけないもの、でもだからこそ興味津々、興味本位ですすめちゃうもの、みたいな風潮なのって、いい加減、どうなんだろうって思う。

男性と女性は、そもそも、「違う」。

違うんだから、敢えて言えば「平等」にはなり得ない。
相互理解の上に「対等」はある。

そこをすっとばして、重箱の隅を楊枝でほじくるような言葉狩り合戦をするのは違うと思う。
あと、性的なことに関してのコミュニケーションについて、大方の男性が作り上げた「聖なるもの」をぶっ壊していく必要があると思う。

死についてもおんなじ感覚があるんだけど、タブーな印象のものって、あいまいにされがちなだけあって、曖昧なまま、妄想が止まらないことが多いよね。
でも、食べる・排泄するのと同じように、タブーではない、当たり前のことなのに。
勝手にタブーにしたり、「聖なるもの」にしたりするのは、もう限界の時期なんじゃないかな。

性なるものを、正なるものへ。

生なるものの一部として語ることができる世の中へ。

たくさん持ち札を持っている方が優しくなれる。余裕が生まれる。
世界は、上下でできているわけではないよね。地球が丸いように、本当は全部つながっているよね?どうだろう。  




ちょっとおいしいおやつが食べたい。楽しい一杯が飲みたい。心が動く景色を見たい。誰かのお話を聞きたい。いつかあなたのお話も聞かせてください。