Yuka Morikawa

ポジウィルトレーナー バンコクに5年半住みました。 製薬会社のMR、ヘッドハンティング会社、海外就労を経験。 ポジウィルでトレーナーをしています。 好きな言葉は『人間万事塞翁が馬』 プーケット/ダイビング/Vege Fes/パワーリフティング

Yuka Morikawa

ポジウィルトレーナー バンコクに5年半住みました。 製薬会社のMR、ヘッドハンティング会社、海外就労を経験。 ポジウィルでトレーナーをしています。 好きな言葉は『人間万事塞翁が馬』 プーケット/ダイビング/Vege Fes/パワーリフティング

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20年近く自分を縛ってきた思い込みや背負った荷物を開放できた体験

2023年9月にポジウィルによるPOSIWILL CAREERトレーニングを完了しました。 少し日が空いたのですが、改めて振り返ってまとめてみようと思います。 きっかけ 大学卒業後から就職して10年ほど、ご縁に恵まれて3回転職しました。 楽しく前向きな転職をしたはずなのに、会社や仕事環境が変わってもいつも心の奥底で「成果を出さなければ居場所がない、価値がない」という暗くて重たい思い込みがありました。 仕事で成果が出ている時はそのモヤモヤを思い出すことはないのですが、頑張

    • プーケット ベジタリアン フェスティバル の始まり

      プーケット ベジタリアン フェスティバル の歴史 プーケットの人々は”Jia Chai”と呼びます。 神、天使、英雄を崇拝する中国の道教の慣習です。 古くは1825年ナイ トゥー村 (カトゥー) で始まりました。 Kathu Shrine( 內杼斗母宮)の場所https://maps.app.goo.gl/1DssWEtFJdd3ypk18 プーケットには元々中国人の移民が多く住み、家族や村を守ると言い伝えられていた中国の神々や女神を信仰していました。 ある日、中国か

      • まだ出会ったことのない自分を発見できるお手伝いをしたい【自己紹介】

        ご挨拶 はじめまして。 ポジウィルトレーナーの森川 悠加(もりかわゆうか)と申します。 日本の大学を卒業後、就活をして日本で6年働き、海外就労5年半を経験しています。 誰よりも「本人以上にその方の可能性を信じること」をモットーに寄り添ったご支援動をしています。 これまでの経歴 兵庫県の田舎で生まれ地方の国立大学に進学しました。 大学卒業後は自身の幼少期の経験から製薬会社を志望し、医薬品の営業(MR)として神奈川県で6年間勤務しました。 MRはずっと続けられる仕事ではな

        • 日本人にあまり知られていないプーケット(タイ)の奇祭・キンジェー

          最初に 愛してやまないキンジェー(正しい発音的にはギンジェー)について、数回にわたって書いていこうと思います。 日本語で調べてもあまり情報が出てこないこともありますし、タイに住む日本人でもこのキンジェーを知らない人も多くいます。 このお祭りがもっと多くの方の目に触れたらいいなと思い私なりにまとめてみます。 調べれば調べるほど裾野が広がって行き、かつ底なしという感覚に陥っていますので全何回かかるか分かりませんが、来年2024年10月3日~11日のキンジェーまでにゆるりと

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          自分も提供者側にまわりたい

          5回のポジキャリのトレーニングを終えて 今年7月にポジウィルの無料カウンセリングに申し込み、すぐに5回のトレーニングを受けることを決意しました。 就職して10年ほど自分では太刀打ちできないモヤモヤや志向の癖に苦しんでいましたが、過去の出来事の振り返りをしてみたり、味方を変えてみたりというトレーニングを行い、本当に肩の荷が下りて目の前が明るくなったような感覚になりました。 8月、9月で全5回のトレーニングを受け、私の場合はとくにインナーチャイルドワークが効果的でした。 こ

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          社会人10年目、タイ4年目を迎える

          2013年に大学を卒業して社会人生活がスタートし、あっという間に10年目を迎える年になったことに衝撃を受け、この約9年間を振り返ってみることにします。 10年で3社経験し、1社目の製薬会社では「今何年目で~」とか「何年目までにはこんなことした」とか「あの先輩は何年目なのか~」とか〇年目という数え方をしていたので、「自分も数年後はあの先輩みたいになりたいな」というロールモデルがあったけど、転職をしたり、仕事内容を変えたりしたことで「何年目までにこういうことしたい」という視点が

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          MRを辞めるのに2年かかった

          綺麗な文章を書こうとしたり推敲を重ねるのは結構負担であり記事投稿への心のハードルが高くなってしまうので、徒然なるままにMRを辞めた理由や背景を書いていきたいと思います。 ①製薬業界の将来に悲観 一般企業の場合は商品の値段はその企業が決められる一方で、社会保険料(=税金)がその支払いに関わってくる医療用医薬品は国(=厚生労働省)に値段が決められます。 MRは給与が高く、福利厚生も抜群に良い。家賃補助で家賃のほぼ全額が出されるケースも珍しくありません。 つまり高い薬をプロ

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          MRになった理由

          大学卒業後、ある内資系製薬会社のMR(Medical Representative)として6年務めました。いろんな選択肢がある中でなぜMRを選んだか。 30歳の今の自分から当時を振り返ると、学生時代の情報収集には限界があったな~と反省しますが、その時はその時で自分なりに一生懸命将来を考え就職活動をしていました。 それではMRになった理由3つ! ①裁量の大きな仕事がしたかった ②稼ぎたかった ③医療用麻薬に携われるチャンス ①の裁量の大きな仕事がしたかった 子供の

          MRになった理由

          はじめに

          大学卒業後、日系の製薬会社に入社しMRとして6年働きました。 自身の成長速度に不満を感じたり諸先輩方の様子を見てキャリアチェンジを決意し、海外就職を決意しました。 今はバンコクから日本のマーケットを対象にしたリクルーティング業務(ヘッドハンティング)をアメリカ系の会社で行っています。(情報量多い)ヘッドハンティングの仕事を始めて、これまでの人生で出会う事のなかった方々と出会い今までの自分の価値観が変わったり、ものの見方が変わり始めていることを実感しています。 これまであ