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✨【掌編小説】最期の映画館
その映画館は暗闇の中ひっそりと建っていた。
ぶ厚い木の扉がぎいっと静かに開く。
「ようこそ」
しゃがれた声が、遠くからか近くからか、耳の中に入ってくる。
カウンターの奥から、初老の館主が穏やかに微笑んでいる。
客は戸惑いながら、そろりと足を踏み入れた。
映画館の中は柔らかな光が漂い、生暖かい空気に人のいた気配が残る。
スクリーンは何かを待っているようにまだ何も映っていない。
「ここは最期の映画館です。」
館主が淡々と話し出した。
「これから、あなたの人生で最も幸せだった時間が上映されます。そして上映が終わると、あなたはその幸せと共に新しい世界に旅立つというわけです。さあ、あなたからどうぞ。」
客は促されるまま指定された席に座った。
ブーーーーーッ
映写機がカタカタ回りだす。
スクリーンには彼らの人生で最も幸せだった2時間が映し出される。
上映が終わり、映画館の扉を開くと
そこには映画の中の景色が広がっていた。
客は今度はためらうことなく、その扉の向こうへ消えていくのだ。
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一人目の観客は長い白髪の老婆だった。
ずっと一人で生きてきた。幼いころ母を亡くし、結婚もせず家族もいない。
もはや孤独という言葉すらわからない私の人生に、幸せなんて。。。
彼女が席に着くと、映写機は回りだした。
スクリーンに浮かぶ映像はどこかの縁側だろうか。
陽だまりのなか、少女が寝転んで文庫本を開いている。
風がふわりとカーテンを揺らして、足元には猫が丸くなっている。
静かにページをめくる音と、柔らかな夏の光。
あぁ、
老婆の目に涙が浮かぶ。
わたしはいつも、ひとりで母の文庫本を読んでいた。
寝転んでも持ちやすいサイズが気に入っていたし、母がすごした時に行き来できるような気がして。
そう、誰かと過ごすわけでもなく、ひとりでいることでわたしは満ち足りていたのだ。ただ、足元のミーの温もりがあればそれでいい。
ゆっくりと吸い込むように映像はうすれ、扉が開いた。
そこには、あの縁側があった。なつかしい風のにおいと畳の感触、
そして、猫がのんびりのびをして、のそりと顔をあげた。
老婆は涙を拭い、微笑みながらその景色の中へと歩いていった。
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再び、扉が開いた。
50代くらいの壮年の男が入ってきた。
堂々とした物腰で質のいいスーツを着ている。腕時計は控えめだが重厚なデザインだ。
「では、あなたの人生で一番幸せだった2時間を上映します。」
館主の静かな声に、男は眉をひそめた。
男は自分の人生に誇りを持っていた。貧しい家に生まれたが
勉強も仕事も必死にやってきた。若くして起業し、会社も軌道に乗って名の知れた実業家となった。
豪邸に住み、高級車に乗り、金も名誉も手に入れたのだ。
いちばん幸せな時間?今が一番幸せだったのに。
カタカタ映写機が回りだし、映像が浮かぶ。
古くて小さな食堂が映し出された。
若かりし頃、まだ事業を起こす前の自分がいた。
ゼミ仲間たちと肩を並べて安い定食を囲んでいる。
洗えるなんて知らないで履いていたジーンズに、よれたTシャツ。
無精ひげに米粒をくっつけながら理想を語った。
館内に笑い声が響く。
何も持っていなかった頃、夢だけたくさん持っていた。
男は椅子に座ったまま、唇を噛む。
映像が消えて、扉が静かに開いた。
そこに、あの食堂があった。壊れた看板にうっすらと「すみれ食堂」と書いてある。若い仲間たちが笑顔で手を振る。
男はくやしそうに笑みを浮かべて、すっと席を立ち、その扉をくぐった。
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次に入ってきたのは、一匹の白茶けた老犬だった。
目が見えているのか
その目はふたつとも白く淀んでいる。
のそりと席にあがり、スクリーンに目を向けた。
小さな手が、茶色い子犬を撫でていた。
「いい子だね、福丸。」
犬はふりふり尾っぽを振っている。
少年は犬の足元のボールを拾い、また投げる。
「もう一度いくよ!それ、とってこい!!」
映像がうっすらと消えて、扉が開いた。
そこには、緑の広い芝生が広がり、幼い頃の飼い主が笑顔で待っていた。
手には黄色いテニスボールを握っている。
犬は淀んだ目を見開いて、まっすぐに駆けていった。
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映画館にはもう客はいなかった。
ただ一人、館主だけが残っている。
「さて、私の番かな。。」
映写機のスイッチを押すと、館主は一番前の席に腰を下ろした。
スクリーンに映し出されたのは、暗闇にひっそり佇む映画館。
重い木の扉が開く。
煉瓦色になった座席、柔らかな明かりに包まれたロビー、壁には古い映画のポスターが貼ってある。
そして、そこに立つ自分自身の姿。
客を迎え、映写機を回し、最後に扉を開く。
幸せに飲み込まれていく客を見送っている。
その扉は心の入り口か、天国の入り口か
開く瞬間が映し出されている。
「なるほど、なるほど、」
館主は息をついて、小さく何度も頷いた。
光を帯びたスクリーンが静かになると、
館主は立ち上がり、映画館の扉を開いた。
その先に広がる景色は変わらない。
映写機が低い音を出し、客席を淡い光が包む。
その光が舞い上がる埃を照らしている。
「なるほど、なるほど」
館主は満足そうに扉をくぐった。
カウンターの奥に立ち、穏やかな表情で扉を見つめた。
最期の映画館には、今日も誰かがやってくる。
幸せはきっと心に刻まれる。
あなたのいちばん大切な時間はどんな時間だろうか。
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