過去にすがる -ファッションの理想と現実-

長かった(長く感じた)冬休みがやっと終わり、本日めでたく自由の身となった。

早速浮き足立って街へと繰り出した。二十代の頃からずっと愛用している某セレクトショップ路面店でセール品を物色するのだ。

そこまでは良かったのだが、いざ澄み切った冬の都会に出てみると、落ち着かない。ショーウィンドウに映る自分の姿が、思っていたのと違うのだ。

中年のおばさんそのもの、どんなに胸を反ろうとも、まるく縮こまった背中がごまかせない。
お腹も出て、短い足がのそのそと歩みを進めている。おかしいな。

浮き浮きがしゅんと沈んでしまった。素敵な洋服を見ても、なんだか当ててみる気になれない。
明るい色合いのスカーフに目がとまった。首もとに当ててみようと触れると、ささくれだった指がひっかかり、うっかりスカーフを傷つけそうになる。そっとスカーフを元に戻し、もう今日はお茶を飲んで帰ることにした。

運ばれてきたカプチーノを啜りながら宙を見上げる。あのような服達を、もはやわたしには着こなせなくなっているのだ。

専業主婦でずっと地域の中ですごしてきた。体調を崩してしまったわたしは、子供を育てることに自分の持つすべてのエネルギーを注ぎ続けてきた。もし、街にでて、働き続けていれば、すこしは違っていただろう。ひと目にさらされること、人と交流することや環境って大事なんだな。十数年もの年月の長さを思った。

それ以前の独身生活の記憶が蘇ってくる。ファッションを存分に楽しんで来た。店員さんに勧めてもらいながら、あれもこれもと試着して、色々な素材や色、デザインを楽しんだ。外回り中も、合間にお店を覗いては取り置きし、仕事の後また試着しに行った。靴も、楽しかった。ヒールにブーツにサンダルに。鮮やかな紫やストライプ、足首がスカラップになったヒールのほそーい黒のブーツ。マークジェイコブスの爪先が尖った猫みたいなパンプス。

あのとき、お給料を注ぎ込んでファッションに熱中したのは、本当に充実した日々だった。
だから、悔いはないか。

いま、なくなったものを嘆いても仕方ない。その代わりに得たものもある。
いまの生活の中で満たされてる物、今の生活に合うファッションで堂々といれば良いじゃないか。

しかし、40-50代に似合う、質と仕立てが良い、高過ぎない洋服はどこで買えば良いのだろう?手作り服を昇華させるしかないのだろうか。

さて、今晩の食材を買わねば。寒いから、温かいもの。久々の学校だから、気が張っているだろう。暖かくてほっとする献立....

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?