ひと粒ダイヤのネックレス
首もとに輝いているはずのネックレスが、ない。
帰宅してすぐ、お風呂に入ろうとして気が付いた。服をひっくり返しても、ない。社会人となって初めての冬だった。疲れて仕事帰りにマッサージ屋に駆けこみ、首をほぐしやすいようにとネックレスをはずしたのだ。その後、付けなおした事は確かに覚えている。
だとしたら。留め具をつけたつもりが、ちゃんとついていなかったとしか考えられない。歩きながら徐々に滑り落ちていったのだろう。次の朝、来た道程をくまなく探しても見つからなかった。繋ぎ目や台も付いていない、極シンプルな物をと選んだ、ひと粒ダイヤのネックレスだった。
そのネックレスは、祖父が私の二十歳の記念に買ってくれたものだった。阪神大震災から、まだふた月しかたたない3月、祖父は四国からフェリーに乗って神戸に降り立ち、かろうじて再開していた新神戸の宝石店を私と一緒に訪れ、購入したのだった。
祖父は、私が成人を迎えたら何か宝石を買ってあげたい、と兼ねてから願っていた。当時被災地に住んでいた私は、復興にはまだ程遠い街並を日々みていたので、当初その贅沢な申し出に困惑した。しかし祖父側としては、状況が落ち着くのを待ち、頃合いを見計らっての来神であり、普段常識溢れる祖父の、強情にも思える想いに応える形となった。
無事購入することが出来、祖父は私達の神戸の家にも寄らず、満足げにそのまま田舎へ帰っていった。
さて、忽然と消えてしまったネックレスの件をどうしようと考えあぐねた。祖父に言うべきか、母に言うべきか、はたまた黙っておくべきか。祖父に言えば、もう一度買ってくれるかもしれない、けれど、高価な物だしそれは申し訳なかった。母も、心痛めるだろう。諸々の事情を考えると言い出せなかった。ふと、良い案が浮かんだ。もうすぐ初冬のボーナスが出る。それを全部使えば、きっと同じものが買える。
年が明けてから、当時購入した宝石店を訪れた。店員さんに鑑定書を見てもらい、どんなネックレスだったか説明した。約2年経っているので同じ物はなかったが、説明をもとに注文する事ができた。そして後日、無事に手元に届いた。ほっとした。
それから20年以上が過ぎ、今なおネックレスは控えめにきらりと輝いている。
あの時、黙っていたのが良かったのかは、分からない。けれど、社会人となり、自分の失敗を自分自身で責任をとれた事が嬉しかったのを覚えている。今、手元にあるこのネックレスは、正確には祖父の買ってくれた物そのものではない。しかし、私にとっては変わりなく、祖父を思い出させてくれるネックレスだ。苦しい事があった時や不安に苛まれた時、あんなに無理に震災後に来て、どうしても買ってあげたいと思ってくれた祖父の想いを感じ取る。きっと大丈夫だ、きっと守ってくれているに違いない、と心を落ち着かせてくれる。今もたまに出してきては、眺めたりつけたりしている。
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このエッセイは、コロナ禍中、作家の辻仁成さんがオンライン文章教室を開催されていた際に、書いたものをすこし直したものです。当時のお題は、買ったものにまつわる悲喜交々のような感じだったと記憶しています。
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