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文章では、どもらない

よく、自分の権威を表すために、その仕事に費やした年数や、関わった顧客数などを語る時があるよね。この道何年とか、クライアントは総計何名とか。私の場合もそうだった。

国語教師歴34年の私が指導します
今まで読書感想文の指導を300名にしました

それはそれで間違いではないのだけど、何かえげつない。
そこで、そもそも私はなぜ国語の指導をしているのだろうというルーツに思いを馳せた。そのストーリーに共感する人もいるのではないか。

例えば、病気がちだった子どもが、自分の病気を治してくれた医師にあこがれて医師になったとか、太っていてモテなかった女の子がダイエットに成功して美容インストラクターになったとか。そんな感じの。

国語教師をしていて、時々セミナーもする私は、実は幼い頃、言葉に障害があった。言葉の発達が遅かったし、吃音もあった。幼稚園から小学校低学年にかけて、言葉の教室にも通った。吃音があるせいで、よくからかわれていたし、いじめにもあった。

そんな私は、本が友達だった。活字が好きで、本や百科事典を読むのが好きだった。そして、私は書くことに興味を持つようになった。小1で読書感想文の賞を取り、新聞にも載った。学校の先生も文章をほめてくれた。だんだんと自信がついてきた。

しゃべると、ひっかかるけど、書き言葉は私の思考を待ってくれた。

吃音は心理的な原因だけで出るものでもない。むしろその逆が怖い。吃音があることで、人に変にみられて、社会に不安を持ったり、自己嫌悪に陥ったりする二次的なものの方がずっとたちが悪いのだ。また、吃音は子どもがなることが多いので、からかう方も悪意のない子供であることが余計によくない。「有香ちゃん、変なしゃべりかた!」「そんなことを言ってはいけないよ」「えー、どうしてー?だって変なんだもん。ねー」

でも大丈夫。書き言葉は待ってくれる。じっくり考えて、最適な言葉をゆっくり選ぼう。それが自分の武器になる時がくる。

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