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認知症の父、本当は何もかも分かっているんじゃないか

火曜日。認知症の父が通う病院で、大腿骨骨折後の最後の診察がありました。骨折から1年。父の中では、それが17年前の出来事になっています。ときどき骨折したことも忘れて歩こうとしてしまい、はらはらすることも。

今回の帰省も、わずか1週間ぶりだったのに、「何か月ぶりだ?元気だったか?」と父は聞きました。私は、「そうね、久しぶりだね。元気だった?」と笑顔で返しました。

正直、この病院には良い思い出がありません。1日でも早く通院を終えたかった私たちは、
「地元の先生が、薬ならこちらでも出せますよって仰っていて…でも、先生のご意見をお聞きしてからと思って」と、精一杯柔らかく話を切り出しました。

その場で主治医が出した言葉は
「もういいでしょう。でも、もう転ばないでくださいね。転んで再入院だなんて、迷惑だから」
妹と私は、心の中で怒りの拳を握りしめながら、その言葉を飲み込みました。

父はその言葉に首を傾げていました。認知症だからといって、父を軽く見ないでほしい。むしろ、人の本質を見抜く力は以前より鋭くなっているように感じるのです。

「お父さん、卒業だって!がんばったね!」
私がそう声をかけると、父は笑顔になりました。この瞬間に嘘はありません。

午後、私は東京で会議があったため、そのまま新幹線の駅へ向かうバイパスを走りました。父を車に乗せているのは妹です。父はギリギリまでオムツを替えずに過ごしている状態ですが、妹は笑いながら言います。
「障害児を乗せることもあるから防水対策は万全!でも、うんちはさすがに勘弁ね」

私も妹も、こんなふうに父のことで、やっと、笑えるようになったんです。

思い出すのは1年前のこと。急に父がわけのわからないことを言い出し、母は毎日泣き、妹は支援を求めて走り回り、私は遠く離れた東京で何もできない自分に苛立っていました。何もできないわけじゃなかった。何かから逃げていたんです。それを発見したのも今年のこと。父のように、私も17年くらい経った感覚です。

何かがあるたびに、30回以上は新幹線に飛び乗った1年。そんな中で、私たち家族は少しずつ強くなりました。特に母が、一番変わったように思います。

新幹線の駅に向かう車中、富士川を渡り、大きな富士山が見えました。新しいバイパスを走る車の中、まるで家族でドライブしているようでした。
「気持ちいいね」「ほんとだね」

駅に着くと、父が妹にポツリと言ったそうです。
「お姉ちゃん(私)は、お前(妹)一人じゃ大変だと思って、今日、東京からわざわざ来てくれたんだよな」
昨日から来ているけどね。

でも、その言葉の奥には確かに真実がありました。
父は、本当は何もかも分かっているんじゃないか――そんな気がしたのです。

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